にせ医者は貴重だが駄目医者はごろごろしている。最近、知った駄目医者の話。再発がんの化学療法を受けている患者さん、治療がよく効いていて腫瘍マーカー値も低下しており調子がいい。いつも落ちついた感じで礼儀正しく、診療がおわると穏やかな笑顔で帰っていくのだがその日は様子が違った。最初からなんとなくうつむき加減で言葉少なく調子はよいというが悲しそうだった。診察が終わって様子が変なので「どうかしたの?」と聞くとしくしくと泣き出した。「手術をした大学病院の先生に今までも3か月に一回ぐらい様子を見せに来なさい、と言われているので受診してきたのですが、その都度、変わりないね、といわれるだけで診察するわけでもなく検査するわけでもないんです。」「それでいつも言われるのは、悪くなって入院が必要になったときには、大学病院は簡単に入院できるわけではないから、早めに対応するようにって。それを言われるのがとてもつらくて、私ってそんなに悪いのかなって、心配になってしまうんです・・。」。確かに再発がんの治療は、出口の見えないトンネルのように感じることもあるかもしれないが、全体の治療計画の中で、ところどころに休薬をいれたりしながら、根気よく治療を続けることで、QOLが向上するとか、安心感が達成できるものなのだ。悪くなるなる、と思って生活することは愚の骨頂で、今が悪くなければそれでいいじゃん、というぐらいの取り組みで結構うまくいくものである。できること、できないことがあるのは現実だが、今、できることをきっちりやることが、一番大切だということは、腫瘍内科医として阿部薫先生に最初に学んだ教訓だ。しかし、どうやら大学のその担当医は愚の骨頂の権化のようなやつらしい。名前は聞いたことがある。他の患者さんも、東京の病院に行きたいと言ったら、もううちでは診ることはできない、と、出入り禁止にされた、と言っていた。なので、しくしく泣いている患者さんに、もう行かなくてもいいよ、そんな辛いことを言われるためにわざわざ行かなくてもいいよ、というと、「予約がはいっているから」と、患者さんはとても律儀だ。予約は電話していけなくなりました、と断ればいいですよ、と助言すると、すこし笑顔を見せて患者さんは帰って行った。2週間後に受診した患者さんは、落ち着いていた。診察が終わって、今日は、大丈夫だね、というと、「あれから大学病院に電話したら、予約のキャンセルは主治医の許可がないとできないというので、大学病院に行ってきたんです」。それもへんな話だと思いながらも聞いていると「それでKMR先生からまた、入院できるような病院に早めにかかっておいた方がいい、私は渡辺先生とは考えがちがうが、これだけは、私の最後の忠告だと、KMR先生は、今月で大学を辞めるんだそうですけど」と。話しているうちに、だんだん暗くなっていく患者さんにかける言葉もなく、それは、僕自身、怒りを抑えきれないということもあったけど、とにかく、患者の気持ちがわからない、だめ医者が大学病院あたりにはごろごろしているようだ。病診連携とか、オープンシステム病院とか、在宅支援の介護センターとか、在宅支援診療所とか、世の中には、様々なリソースがそろいつつある。なにも、なにもかもを犠牲にして病院に入院することだけが選択肢ではないのである。在宅、地域医療、など、面でとらえるがん医療が患者にとって必要であり大学病院しか知らない偏狭な医師はもっと社会活動としての医療にめを向けるべきである。