エビデンス原理主義


後藤先生のお考えは、確かにEBM学としては貴重なロジックですが、実践に応用するという意味では、ややかたくなな対応と感じます。そう言うのを古来よりエビデンス原理主義と呼びます。原理原則に忠実な、イスラム原理主義とか、ファリサイ派とか、原理を一生懸命に守るという姿勢は、もし、原理が完璧ならば、それを守る必要があり、尊重されていいかもしれませんが、とかく、原理というのは、不完全、行き過ぎ、と言う面があります。エビデンスも不完全であり、すべての項目に関して、あるいは領域において、充分なエビデンスがあるわけではありません。コンセンサスカンファレンスが開催される理由は、不完全なエビデンスしかない領域で、それらをどのように演繹して日常診療に応用するか、ということを目標としているわけです。エビデンス原理主義の象徴としてGKITを、ある意味では崇拝していますが、それはアンチテーゼとして、それではだめだよ、もっと脳細胞を使って、演繹して、応用して、例外がなぜ生じるかを考え、それでも大多数のベネフィットが得られ、個別の症例で不利益がなければ実践するという知恵と勇気が必要なのです。バランスのとれたEBMを北海道でも学習して頂きたいと思います。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

“エビデンス原理主義” への 1 件のフィードバック

  1. 拝啓 渡辺先生
    お忙しいところ、貴重なお時間を割いてお返事をいただきありがとうございます。
    先生が書かれた「2011年のザンクトガレンではっきりと方向が変わりました」という治療戦略の新しい流れを前に、ちょっと立ち止まって考えてみた率直な疑問で、エビデンス原理主義というような(2008年のブログの記事を探しました)かたくなな姿勢のつもりではなかったのですが、表現が拙くて(あるいは謙虚さが足りなくて)そのように見えたとしたら申し訳ありません。
    「個別の症例で不利益がなければ」と先生がおっしゃるように、自分がひっかかっているのは、免疫染色でLuminalAとする症例の中に、化学療法でメリットのある患者さんは入らないのか、という点なのだと思います。以前にOncotypeDXの研究会に出た際に、免疫染色でERが高くHER2陰性でKi-67が10%のような一見LuminalAに見える症例が、OncotypeDXではhigh RSでした!みたいな症例紹介がされていた印象が強いせいかもしれません。実臨床での手応えがわかりませんので、今回のKi-67で定義するLuminalAがLowRSと一致するのなら問題ないのかもしれませんが、検索で見つかる中で一番近似と思われたのはgrade1, PgR強陽性, Ki<10%を全て満たせばLowRSかIntermediate、という条件でした。再発リスクがそもそも低い症例であれば化学療法のメリットは少ないでしょうが(St.Gallen2009の表はそのような考えだと思うのですが)、再発リスクが高くなればわずかな差でもARRは大きくなると思いますので「内分泌のみ」とした時に個別の症例で不利益がでないのかが気掛かりなのです。
    もちろん「原則として」ということは例外があるはずで、その条件がわかるまでは杞憂かもしれません。例外規定に「OncotypeDXでHighRSの症例を除く」とか書かれてたら苦笑いですが。
    拙い文章で失礼致しました。論文がpublishされたらまた勉強します。
    このたびは大変ありがとうございました。
                          敬具

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