がん患者の死 (3)


看取り、病理解剖に続いて、遺体のお見送り。私の医師人生で経験した患者の死の圧倒的多くが、国立がんセンター中央病院においてです。しかも今ある病院(1999年に完成)の前の建物の、古い古い、薄汚れた霊安室からのお見送りの場面が思い起こされます。霊安室から先の段取りは出入りの葬儀屋さんが取り仕切ります。出入り、というのもおかしな話ですが、毎月1日から10日までは○○葬儀社、11日から20日までは▽▽典礼、21日以降は□□葬祭といったふうにきちんと出入り日が決まっていたようでした。遺体が病院を出るときには、病棟の看護婦長から「○○さん、お帰りになります。」と連絡がくるので、絶対に手がはなせないような状況でなければ、霊安室の戸口の所に行きます。看護婦長や看護婦たちも行きます。それで、遺族に挨拶し搬送の車が門から出るまで見送ります。夜中に亡くなって朝までに遺族が帰りたいという場合は、看取りの業務を終えてから、医局とかで休憩して朝をまつ場合もあったと思います。そのような場合でも翌日の病棟や外来業務は通常どおりに行なうのが当たり前でした。ここまでが、看取り、病理解剖のあとの、遺体の見送りにおける医師の役割です。看取りから始まって、見送りまでの、手順、技術、儀礼などは、札幌での研修医のころ、そして国立がんセンター以降の医師人生を通じて学習したものです。オーベン、カウンターパート、先輩、指導者、診療グループ責任者、病院幹部、といった医師の先達が、当たり前のように振る舞う背中を見て覚え、しばしば技術的「こつ」を伝授してくれ、時に、遺族に対して非礼となるような行いをした場合などには、厳しく諌められたこともありました。また、友人、知人や家族の死を経験し、また、自分自身のキリスト者としての宗教体験から、死者への思い、心情は自然に育まれてきたものだと思います。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

“がん患者の死 (3)” への 1 件のフィードバック

  1. 浜松出身アメリカ在住のHER2陽性患者です。私もクリスチャンです。昨年帰省した際から、浜松地方のがん患者さんたちとも情報交換、励まし交換をしたいと、ランチ会を呼びかけていますが、先生のところでお世話になっている患者さんたちとも知り合いました。先生のところで、ニーバーの祈りを知ったと聞き、もしや先生はクリスチャンではと思い、尋ねたたところ、「そうです。」という返事が戻ってきて、さらに興味を持ち、このブログにたどりつきました。
    死だけを眺めたら、それははかなく、醜く、悲しいだけですが、青虫から蝶に変身するように、神を信じる者は、死後、新しい、朽ちる事も死ぬ事もない体をいただけると、聖書は約束しています。永遠の命があるということこそ、愛する者を失う残された者にとって、唯一の希望ではないかと思います。癌患者になって4年になりますが、死の恐怖に瀕する患者さんたちの強い見方である医療者たちへ感謝と尊敬の念を益々深めております。どうぞこれからも主にあって、ご活躍されますことをお祈りいたしております。

コメントを残す