「祈り」の違い


サンアントニオスパーズ対ロスアンジェルスレイカーズのバスケットボールの試合、ほずみんに誘われて観戦してきました。101対101で決着がつかず、延長戦でレイカーズが辛勝、スパーズは惜敗という結果、ものすごくもりあがった一戦でした。ほずみんは、かつてムルアカとよばれた林先生に誘発されてNBA の試合観戦は毎年行っているそうで、おおはし先生もフロアレベルの最前列で毎年観戦しているらしい。わたしは、今まで、サンアントニオでは、毎晩、委員会とか、セミしゃんしゃん勉強会に駆り出され、夜の時間を浪費していたのだが、ボレロ三試験、いずれもポシャリの結果で委員会も終わりになり、セミしゃんしゃんもやらないことになり、夜の時間をやっとすこし楽しむゆとりとことりができたわけです。その白熱した試合展開の最中に気づいたこと、日本だと、楽天対巨人、まーくん連続登板最終回、ツーアウト、最後のバッターは、あべしんぞう、という場面でスタンドが大写しになると、多くのファンがお祈りのポーズを取っている。また、クイズ番組やバラエティ番組なんかでも、結果発表します、でけでけでけ・・というときは、三流芸能人が、みんなお祈りのポーズをとる。それが習わしとなっています。ところが、白熱したスパーズ対レイカーズ戦、あと1分という場面でも、スタンドでお祈りポーズを取っている人はだれもいないのですね。クリスチャン大国のアメリカだから、たかがバスケットボールの勝ち負けぐらいでは神へは祈らないのでしょう。神様だって、ゲームの勝ち負けまで祈られたって困るよ、って感じでしょうか。芸能人がクイズ番組の結果発表でお祈りのポーズをとっている姿をみると、目先のご利益を求める日本の複合宗教のお祈りと、神を畏れ、隣人を愛するクリスチャンのお祈りでは、全く意味が違うのかなー、と感じたのでした。サンアントニオ雑感でした。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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