思えば遠くへ来たもんだ


という歌があるけれど、NSAS試験をやり始めた1990年代の中頃、三浦先生から「渡辺君は、僕たちの領域に入ってきて、いったい何をやりたいんだろうか? 僕たちがやっていることを手術もできないような君が、何をしようというのか、ちょっとわからないな」と言われました。そのころから、20年の歳月が流れて、どうも、世の中は変わった、僕たちの領域って、違うんじゃないかと感じる。あっという間の20年だったが、随分、遠くへ来たような気がする。

ツバルという島がある。海面が上昇してどんどん島が小さくなっていく。自分たちのテリトリーは永久に安泰と思っていると、ツバルのように居場所がなくなっていくのだ。せっかく、「乳房再建、オンコプラスティックサージェリー」という地続きの土地が見えたのに、それを、形成外科医に渡してしまった「僕たち」。「僕たちの領域」と思っていたところには、気づいたら、腫瘍内科医が沢山、入植しているのだ。もう「僕たちの領域から出て行きなさい。」と言えるほど、君たちには、力はない。ツバルのように、かつての君たちの領域は、もはや水面下に没し、立っているところもないぐらいだろう。この変化、今後さらに加速していくだろう。思えば遠くへ来たもんだ。

時代の変化と共に、自分を磨かなくてはいけないと思う。しかし、大きな組織にいれば、自然と磨かれるというものではない、ということは、エスロカ病院など、一流と言われている組織で勉強していても、GK病院にいても、いっこうにぱっとしてこない若者、すでに初老の域に達した大将たちを見てきたからわかる。自分を磨くのは自分だ。資格をとればいいという話ではないし、大きな組織でのほほんとしていたら、腐食はすすみ、我が身はツバルになっていく。我を磨き、友を圭く(みがく:圭友会の語源)。今の専門医制度とか、学会の方向性を見ていると若者たちをツバルの島に無理矢理閉じ込め、また、若者たちもツバルから踏み出そうとしていない。先日巡り会った若者を後ろ姿を見守って行こう。ツバルに向かっていくのか、新たなテリトリーを見出してくのか。時間は確実に耳元を流れていく。 (朝の黙想より)

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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