San Antonio -1dayのたわ言


シカゴ経由でサンアントニオに着きました。シカゴは寒くサンアントニオはぽかぽか陽気です。今年は月曜日に出て月曜日に到着、前日現地入りというわけです。いろいろと便利になって空港も機内もWI-FIが低額で使え、ホテル、学会場も無料WIFIが飛んでいてさくさくと仕事がはかどります。ホテルで学会の下調べをしていたらMicorsoftアカウントチームからメールがきて「不審なサインインが確認された」と以下の連絡がありました。アンドロイド端末にパスワードを送るからMAC側に送ったファイルに入力して自分がアクセスしたことを認証しなさい、ということ。ゲッ、「消防署のほうから来ました」みたいな、インチキ消火器押し売りのようでもあるけど、「私はあなたのことをこんなに知っていますよ」と言わんばかりに、MAC iPAD  アンドロイド端末の履歴一覧が表示され、自分です 自分です 自分です 自分です と、まるで取り調べをうけているよう。今や、地球上どこにいてもすべて見はられているのであります。見はってくれていると感謝したほうがいいのでしょうか。

昔の話をしましょう。その話、100回聞いた、とか言われるかもしれないけど、そうでもないと思うよ。むかし、つまり1992年にザンクトガレンカンファレンスに最初に参加して、アインシュタインホテルに泊まったときのこと、小さなホテルでフロントやレストランや廊下で顔見知りにオンコロジストに行き会います。右隣のピーター・ラブディンの部屋からは、ちょうどAduvant Onlineの試作段階の頃で、壁越しに夜通し、あちこちと電話でのやりとりする声、特徴的なハスキーボイスが聞こえてきました。左隣はバーナード・フィッシャーが奧さんをつれて泊まっていました。朝食に行く時に廊下で出くわしたらエレベータの前で、Go ahead と言って先に私を乗せてくれて奧さんの後をゆっくりと歩く老紳士でした。それで私はというと、当時、少し出始めたインターネット、「モザイク」という今はどこにもないブラウザを小山博史先生が使いこなしていたので同じのを導入、研究費で阿部先生に買ってもらった走りのころのラップトップコンピューター(当時はノートパソコンという呼び方はしていなかった)を持っていって電話回線につないで使おうとしましたが、部屋の電話機は壁を貫通する太い電線に直接つながっていてモジュラージャックがありません。それでどうしたかというと、電話機の底を持っていったドライバーで開け、電話線にモジュラージャックをつなぎ、モデムと結んで、ぴーひょろひょろーと通信は大成功!! 違法って言えば違法かも知れないけど、良くやったね、と褒めてもらってもいいぐらい、まるでスパイ大作戦のような手際良さの工作だったと今でも思っています。だれにも迷惑はかけていないし、その後、パネリストになって毎回、アインシュタインホテルに泊まってもとくに問題もなく25年の歳月が流れ、あの頃の建物はもうありません。不便なあの頃が良かったのか、便利だけどどこにいても見はられて、やれコンプライアンスだの、やれプロモーションコードだのにがちがちに縛れ、行動、言動が全て、透明化される時代がいいのか、それはわかりません。でも、自分で考えて精一杯工夫して好きなようにやっっちゃえ、というのは今でも同じスタンスであります。

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投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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