水無月の想い(3)


でも、なぜ、聖路加国際大学の、生涯教育部の、がん化学療法認定看護師のコースが今年度で打ち止めになったのだろう。開講後7年での閉講である。担当者の説明では受講生が減ってきたこと。確かに今年は10数名と少ない。また、数ともに質の低下もあり、卒業できない受講生が増えてきてシラバスの見直しも必要だそうだ。しかし、今年も受講生はとても熱心で居眠りしていたのは三名だけ。がん化学療法は、金食い虫だからと、外来化学療法加算IIがいきなり、なんの前触れもなく削除されたり、近○大先生も寝言で言っているように、看護師を認定してまで推進する必要性がない、ということだろうか? 青森県立保健大学での、がん化学療法認定看護師コースも数年前から講義に行っているが、受講者が集まらず、開講できるのは2−3年に1度ぐらいとお寒いかぎり。担当者からの説明では、世の中のニーズが乏しいと。ニーズはあるだろうにと思っていたけど、青森だけでなく、天下の聖路加国際大学でも認定看護師コースを維持できないということは、がん化学療法に対するニーズは、今後も減って行くのだろうか? 訪問看護や認知症看護のコースは引き続き盛況とのことだから、やっぱり、ウルトラスーパー高齢化社会に突入し、がん医療にこれ以上お金をかけるよりは、現代版「楢山節考」を整備する必要があるということだろうか・・。勝俣先生、どう思う??

認定コース不人気


聖路加でがん化学療法看護認定コースが定員割れで継続できないという話を書いたら、日赤とか、神戸など、あちこちてもがん化学療法コースの中止、定員割れとの話を聞きました。がん化学療法認定看護師のニーズがなくなってきたのでしょうか? 外来化学療法が定着して、化学療法室の看護師も充足してきたからですか? そんなことはないように思いますけどね、。あちこち、未だに、医師が点滴刺入をさせられているところも多いようですし、中心静脈ポート設置がガイドライン的には強く推奨されているのに、抹消からちくちくやっていたりと、そういう話をたくさん聞きます。現状はいったいどうなっているのでしょうか?

水無月の想い(1)それなりの週末


ASCO帰りのこの週は時差の関係で深夜の活力が高い。プレナリーセッションの演題が自然と蘇ってくる。広範囲骨転移、他臓器転移のある前立腺がんでは、ホルモン療法だけよりドセタキセルを併用した方が長生きするとか、KRAS野生型の転移性大腸がんでは抗がん剤との併用はアービタックスでもアバスチンでもPFSもOSも変わらないとか、ホルモン感受性閉経前乳がんではLHRHアゴニスト+AIの方がTAMよりよかったとか、HER2陽性乳がんの術後にはラパチニブは無意味だとか、それなりにガイドラインを書き換えるぐらいのインパクトのある演題が発表されたASCOだったので、それなりに腫瘍内科プラクティスも変わって行く、という話を、今日の、聖路加国際大学の、生涯教育部の、がん化学療法認定看護師のコースで話してきた。帰りは、通いなれた「はしご」でダーロウダンダンメンを味わって来たのでそれなりに充実した一日だった。でも、なぜか釈然としない感じで、このブログを書いているのだが、その理由が二つ思い当たる(つづく)。

小粒おばさん増殖中


最近、さすがにしゃんしゃん大会登場を依頼してくる企業は減ってきました。そもそもしゃんしゃん芸人に自分は向かないし、しゃんしゃん大会のくだらなさ、とりわけ、あのあきれるまでの製品持ち上げ論議にはその場にいて赤面する程です。あご足付きで全国からの参加者を集め、しかも受付で名前だけ書いて遊びに出かけるという行動をよくあることですから、と許容する姿勢は、当世「一般国民の眼からみるといかがなものか』と批判されかねないと思います。現に、ノバルティス社長交代の際のコメント「日本のノバルティスは患者よりも医師を重視している」は当を得ているものです。かわって各社で増殖しているのがコンプライアンス(法令遵守)第一主義の小粒おばさん(Compliance -directed Kotsubu Obasung :CKO)。昨日もある社がJBCSのランチョンの司会をと打診にきました。閉経前乳癌治療の歴史、Beatsonに始まり、ノーベル賞の決闘、そして、LHRHアゴニスト開発の競争など、歴史的にみても取り上げるべき重要な項目がたくさんあるので、そういうのをわかりやすく伝えるような本でもだしたらどうだろうか、などと提案してみたところ、一向に反応せず、人のことばを遮るように、「コンプライアンス重視の観点から特定の医師に利益供与することはできません」 と全く頓珍漢な反応、コンプライアンスをはき違え、コンプライアンス重視をばかみたいに錦の御旗としてふりかざし、その他、言っている事が実にみみっちく、あほらしく、事の本質が見えていない・・・、これ以上、このかわいそうなCKOの顔を見ていても、なにも実りがないだろうから、そうそうにお引き取りを願いました。ランチョンセミナーといえどもきちんと企画して、製品の正しい位置づけを厳しく評価し伝えるという演出は重要です。そのような是々非々の対応をすることでランチョンとしての高い評価が得られるものと思います(外科学会ランチョンの高得点を記念して)。小粒おばさん、コンプライアンスと自社製品の売り上げを第一に考えるなら、針をもっと細くして、絶妙なるしゃんしゃん芸人に司会、演者を依頼したらいいでしょう。

思い悩む人心掌握


 はじめに:組織の責任者にとって人心掌握はもっとも重要な責務の一つです。しかし、重要なだけになかなかうまくいきませんし、永久に完成の域に達しません。自分を棚にあげるわけにもいきませんから、自己の精神修養にはげみつつ、掌握できない心人(こころびと)に気づいてもらう事を願っています。

本文:神を畏れる、の「畏れる」は「恐れる」とも「怖れる」とも違います。畏れるとは、「自分よりはるかに力のあるものに対してすべてを委ねること」です。そして、その「はるかに力のあるもの」と自分がつながっていることによって、無上の安心と平安を感じ、優しい気持ちを持ち続けることができるのです。

人は、一人では生きてはいけませんし、家族、親戚、友人、職場の同僚、近所の人、サークルの仲間・・・などと、お互いに信頼し合える関係を築きながらこの世の人生を送ります。隣人とは、単に隣近所の人、ということではありません。道ばたにうずくまっている人、困っている人、友達にいじめられている人、仲間はずれにされている人、意地悪をされている人、そしてつらいおもいをしている人など、あなたのほうから積極的にかかわっていき、隣人として愛することができますか。

人は生まれながらにして、ねたんだり、いじめたり、仲間はずれにしたり、うそをついたり、困らせたり、いじわるしたりという、罪を多く持っています。ひとはだれしも不完全で、完全なひとはひとりとしていません。しかし、ひとりひとりが成長する、反省する、悔い改めることで、より完全に近づいていくことができます。身の回りで、自分と意見のあわない人、気に食わない人、自分より能力が劣ると感じる人、のろまでいらいらする人、など、意地悪をしたくなる人がいるかもしれません。でも、その人たちはみんなあなたの隣人なのですから、愛さなくてはいけません。どのようにしたら愛する事ができるかを考えなくてはなりません。隣人を愛することであなたも愛されるのです。

相手を責めるのではなく、自分が相手に何をしてあげる事ができるか、自分の行為、言動で相手がどれほど傷ついているのだろうか、相手の気持ちをおもんぱかり、人々のつらさをおもいやり、みんなの幸せをおもうこと、それが、よい人間として、私たち一人一人が目指すべき隣人愛なのです。やさしい気持ちを持つこと、考えてみましょう。

看取り・見送り論争


2月なかばに医療センターで「看取り、見送りに主治医はどのように対応するかについて意見交換会」がありました。きっかけは医療センターで亡くなった患者遺族から投書があったことです。私は院外主治医という立場で、そのような意見交換会にはほとんど参加したことはありません。しかし、今回のテーマは考えるところがあったので参加しました。私の考えは(1)看取りや見送りは主治医として関与するのが当たり前である、(2)業務というよりは医師として患者、家族にかかわった人間としての気持ちの表現でもある、(3)先輩医師の行動をみて学び、先輩医師から伝承された技術も活用するのがよい、(4)看取り、見送りは、後輩医師が先輩の背中を見て学ぶべき行動学であり、伝承すべき文化である、に集約されます。意見交換会では医長クラス4−5人が意見を言いました。驚いたことに、一人をのぞいて、「看取りは当直医師に任せるべき、見送りは不要」との意見でした。医長クラスは皆、私と同年代か少し若手で、新設の単科医科大学卒業です。なので、背中を見せて後輩を育てることのできる先輩が身近にいなかったということもあるのでしょうか。文化としての伝承がなされていないため、私と同世代の医師たちが、後輩に向けて背中を見せて率先垂範することができないのではないでしょうか。看護部長も、「昔は先輩医師の背中をみて、ということがありましたが、今はそういう時代ではありません。」と言っていました。また、医師の中には、「死んだ患者よりも生きている患者が重要」とか、「東京あたりの病院では、看取りは当直医の業務、見送りはしない、ということをルールとしているところもあると聞く」、「翌日の業務に支障を来たし、リスク管理の観点からは、夜間の看取りは、当直医師の業務とすべきだ」など、背筋が凍り付くような意見の主張もありました。やや年配医師のフロアからの意見「死亡診断書をあらかじめ書いておくような無神経なことはするべきではない」に、「なんでそれがだめなんですか!? 当直医が経過を全部確認することなどできないわけだし、正確に記載できるのは主治医だ」と強烈に反対意見を主張する若手医師もいました。確かに業務としては合理的かも知れませんが、心情的にはなにか殺伐としたものを感じます。私もやはり、主治医が死亡確認の後、診断書用紙二枚とカーボン紙を引き出しから取り出し、カルテを確認しながら経過をまとめ丁寧な字で記載するのが常識的だと思いますけどね。そろそろ会も終わりに近づき、ああ、心をどこかに置き忘れてきた人々よ、生まれた時が悪いーのかー、それとも俺が悪いーのかーと嘆かわしい気持ちになっておりまました。すると司会の先生から、渡辺先生、ご意見はありますか、と水を向けられましたので上記の(1)から(4)までを述べました。最後にコメントされた院長は穏やかな口調で、医師として、また管理者としてすばらしい発言をされ、病院の背骨を明確にされました。それでやっと少し救われた気持ちになり、アウトランダーで雨上がりの夜道を帰宅いたしました。

がん患者の死(2)


病理解剖を行なうことに遺族が同意してくれた場合には、心より感謝の思いを伝えます。死亡診断書は解剖の後にお渡しします。病理解剖依頼書をきちんと記載しないと、病理の先生に叱られるのできちんと書きます。病理の先生は翌朝8時30分にならないと電話に出てくれません、国立がんセンター病院ではね。なので、翌日の病理解剖担当の先生を確認してから一度家に帰るなり、医局で仮眠するなりして朝を待ちます。8時30分、電話します。喜んで!と言ってくれる病理医はいません。中には、本当に解剖が必要なのか? と不機嫌そうに言う先生もいました。その先生は、その後ものすごく偉くなって総長まで一時的になりましたが、その後の御家騒動で築地を追われてしましました。さもありなん、さもありなん。病理解剖は、死亡原因を確定するということもありますが、やはり、肝臓に転移したがんのものすごさ、たばこをすっていた患者の真っ黒な肺、これじゃあがんになるよなー、生前の検査では見つからなかった骨転移の存在、これが痛みの原因だったんですね、見つけてあげられなくてごめんなさい、と感じたこともありました。甲状腺の裏がわに転移して副甲状腺が破壊されていることがわかり、これが、低カルシウム血症の原因だったということがわかり、JJCOに症例報告をしました(1)。病理解剖室のひやっとした空気、ホルマリンと生き物と遺体の匂い、冷たくなった遺体の硬さ、メスやピンセットなどの金属が解剖台のステンレスにあたる音・・・。病理解剖から学んだ数々の知識とともに今でもよみがえってきます。病理解剖が終了すると、遺体をきれいにして霊安室に移動、待ち受ける遺族に病理解剖に協力してくれたことを改めて感謝の思いを伝え、解剖結果を分かりやすく説明します。研修医と共にきちんとお辞儀をして、霊安室を立ち去ります。ここまでが、看取りのあとの病理解剖における医師の役割です。

1.    Watanabe T, Adachi I, Kimura S, Yamaguchi K, Suzuki M, Shimada A, and Abe K. A case of advanced breast cancer associated with hypocalcemia. Jpn J Clin Oncol. 1983;13(2):441-8.

がん患者の死 (1)


病院で亡くなる患者は、医師によって死亡確認が行われ、医師によって死亡診断書が作成されると、遺体が病院から自宅、葬儀場に搬送され、葬儀を終えて火葬されます。事務的に書けばこうなります。しかし、この過程は単純なものではありません。がんの患者が死期を迎えると、病棟看護師から血圧が下がってきました、呼吸が止まりました、という連絡が来ます。その場合、つべこべ言わずに、すぐに医師は病棟に向かわなくてはなりません。そういう時は大概、死亡確認を行わなくてはいけないので、聴診器、ペンライトを携えていきます。正確な時計も必需です。病室に入ると、家族が数人ベッド回りにいます。医師として入室する際は、謙虚かつ厳格な態度でベッドサイドに近づくよう先輩から指導されました。そして、呼吸、心音を確認するために聴診器を当てます。呼吸は下顎呼吸といって、顎の動きが強調されるように、やや苦しそうなので、聴診でなくてもわかります。ということは付き添っている家族にもわかります。研修医時代、この状況でのスキルとして指導医から教えられたことは、「200数える間、呼吸がなければ、そこでもう一度、聴診して、心停止を確認して、ペンライトで対光反射なき散瞳を確認し、自分の時計をみて、○時○○分、死亡を確認いたしました、ご臨終ですと家族に告げる」ということです。国立がんセンター時代には、かなり多数の患者の院内死亡に立ち会ったので、この教えはかなり役立ちました。そこからは家族がベッドサイドに近寄れるように、医師、看護師は、病室の入り口近くに退き、しばらく直立し、ときの流れを待ちます。家族が、先生、どうもありがとうございました、とおっしゃる場合もあります。その場合は、会釈を返します。時期をみて、退室しナースステーションに行き、看護師、研修医などをねぎらいます。そしてカルテに死亡確認記録を記載し、死亡診断書を作成します。看護師はここから、死後の処置を行います。最近では、これをエンゼルケアと呼ぶようですが、海外ではangelcareは、赤ちゃん用品のブランドなので多分、日本で勝手に作った用語ではないかと思います。へんな造語はやめたほうがいいと思います。家族の状況がある程度落ち着いた時点で、ナースステーションに来てもらい、お悔やみを告げ、病状や、死亡に至るまでの経過を説明し、死亡診断書の記載内容を説明します。場合によっては死亡診断書につながった反面が死亡届用紙であることも説明します。病理解剖を家族にお願いする場合には、ここから説明しますが、断られた場合には、死亡診断書をお渡しします。ここまでが医師としての「看取りの仕事」です。

どうにも止まらぬしゃんしゃん企画


年度末が近づき「既に予算を確保してあるので」という理由で無駄な公共事業ががたがたと始まっています。同様に学会空白シーズンでもあるこの時期、「しゃんしゃん大会」も世の中の動向をあえて無視するように強行され続けています。N社ARB薬で血圧データがねつ造され、企業社員が共著者になっており、ねつ造されたデータを元に「虚偽の宣伝活動」をしたとで刑事告発された問題、営業の最前線では平身低頭ですが、下げた頭の上を嵐が過ぎゆくのをただじっと待っているかのようです。一方、姿を表さない営業の本丸は馬耳東風、人の噂も75日っていうような感じです。そのあおりで「当局からの指導が厳しくなりまして」と、まともな臨床研究がやりにくくなるというおかしな方向に解決策が動いているようです。「先生方の研究支援」はかつてはまっとうなこと、とされてきました。しかし、最近では製薬企業の営業担当者がサンプルの運搬に関わっただけで内部告発があったり、○○会社ではこんなことやっていますがいいんですかね?というたれ込みがあったりと、「倫理」の規範が見えなくなっているようです。今週末、弊社は地味に開催しますからと動き始めてしまったしゃんしゃん企画はもうどうにも止まらないみたいですが、僕は出ないから、の一言が暴走を止めるでしょう。ついでのAKB劇場には行けなくなるけどね。

電子カルテの不合理 (1)A5用紙の不合理の巻


2006年に導入した電子カルテ、我が社のような中小診療所では、端末10台程度、サーバー1台です。しかも、ベンダーは大病院の電子カルテの定番となっているNEC、富士通、IBMといった大手ではなく、診療所専用の、名前を聞いたことのないような中小企業です。導入後7年間、バージョンアップも全くなく、使用に不便、不具合、不都合があっても、そのまま使わざるをえず、たまに訪れる担当者にクレームをつけようものなら、その後、担当者は全く顔を見せなくなる、と言う状況です。なので、仕方ない、として、不便、不具合、不都合に慣れないといけない、という忍耐力が要請され続けます。代表的な不具合を一つあげましょう。それは、「A5用紙」の使用です。我が国は、いつの頃からか知りませんが、用紙はA系列とB系列があります。A1、A2,A3,A4,A5と番号が大きくなるにしたがって、サイズは半分半分になっていきます。最近では事務用紙の標準はA4で、A4が入るよう、小学生のランドセルも大きくなりました。以前は、それより小さいB5が事務用紙の標準でしたがA4が標準になった理由は、欧米で使用されてきた「レターサイズ」がA4 に最も近いので、最近ではA4はインターナショナルサイズとも呼ばれています。大病院の電子カルテで使用されている用紙は、まず、まちがいなくA4だけです。ところが、電子カルテでは処方箋の用紙に「A5」を使用することが義務づけられているのです。電子カルテで打ち出される処方箋には、「JIS企画A5を使用すること」の一文が必ず記載されて言います。試しに電子カルテを使用している病院で、たとえ使用している紙がA4でも、「JIS企画A5を使用すること」と小さくかいてあるので確認してみてください。しかし、A4が事務用紙の定番ですから汎用のインクジェットプリンターも「A4のみ」のものは9800円で売っている場合もあります。ところが、電子カルテは、「A5」用紙の使用が求められるため、汎用プリンターが使用できません。A5を使用するためには、用紙トレイが複数あるようなプリンターにせざるを得ず、しかも電子カルテ業者がデフォルトとして導入するプリンターは10万、20万円という高価なものなのが現状なのです。しかし、大病院の電子カルテは、NECでも、富士通でもIBMでも、A5用紙なんて使ってません。「JIS企画A5を使用すること」という当局の指示を無視してA4用紙を使っているのが普通です。実際、A5を使う必然性は全くなく、不便、不合理、不経済極まりないのですが、中小企業ベンダーは「A5」使用を羊のように従順に守ります。なぜA4ではだめなの? と聞いても当局の指示だから、というような答えしか返ってきません。管轄当局がどこかもわからず、不合理が不合理のまま踏襲されているので、こういう状況は我慢ができません。以前、大病院の薬剤部長とか、厚労省医薬安全局の課長補佐クラスで、メルアドのわかっているお役人に尋ねたことがありましたが、皆さん、どうしてA5が指定されているのか、どこに「陳情」すれば、A5の不合理のなぞが解けるのかわかりませんでした。こういう状況に接するといつも思い出すのは黒澤明監督の映画「七人の侍」の従順な農民の姿です。お上の不合理な指示に黙って従わなくてはいけないこと、我慢できません!!