郷里の浜松で腫瘍内科診療所「浜松オンコロジーセンター」を開設したのが2005年の5月、診療理念を表1のように定めた1。仕事や子育てをしながら外来に通って抗がん剤治療をうける患者、がん治療に関するセカンドオピニオンを求めて遠方からやってくる患者、自宅でがんの末期を過される患者を対象としたがん診療や、がん検診、がん予防相談と、近隣の方々の一般内科診療を行ない10年の歳月が流れた。診療の中核は、やはり、私の専門とする腫瘍内科領域であるがんの内科的治療、すなわち薬物療法である(以下次号)
それでも朝は来る
ある商業誌から依頼されて半生を振り返ってみました。ここではそれを12回に分けて連載することにしました。その中には触れていいませんが、半生といえば還暦、赤いちゃんちゃんこは着せられませんでしたが、後輩たちからガーミンのForAthlete225Jをプレゼントされました。ガーミンですからGPSの老舗、加えて心拍数もはかれ、しかもスマホとの同期もばっちり、二か月間、ほぼ毎日、5−10kmぐらい、毎朝走っています。青森でも秋葉原でも京都でももちろん浜松でも。高山忠利先生も「仕事の流儀」で走っているところが写っていました。私は還暦を迎えてからの活動期間を25年と考えていますから体力、知力、胆力が大事、おそらく同年代の活動家たちは同じように考えているのでしょう。そして心に構える名言「それでも朝は来る」,どんなに厳しくつらい夜であっても何事もなかったように朝は来ます。朝がくれば太陽が昇り闇を消し去り輻射熱を与えてくれます。「それでも朝は来る」ーー ひどい人にひどい思いをさせられても何事もなかったように朝をむかえる。一日のルーチン活動を終えた時、反省と納得と成長の夜を迎えます。
司会者の役割
今年の癌治療学会は本庶佑先生や山中伸弥先生の講演があり第一会場は満員で講演内容もすばらしかったです。癌治療学会の性格上、平行セッションが多くなり、また、セッション間の時間も限られており、あれもこれも聞きたいという場合に、予めの参加計画(advanvance attend planning)が不可欠ですし、また、司会者が後のセッションとの関連、つまり、その会場で次のセッションは計画されているか、他の会場でのセッションまでの移動時間は確保できるか、などを考慮しなくてはなりません。しかし、司会者の最も大切な役割は、講演者に持ち時間を守らせ、会場からの質疑応答を盛り上げることです。また、参加者は質問があれば、予めマイクの前に立ち、質問の意志を司会者に伝えること(advance standing at microphone)が大事です。ASCOなど海外の学会では、これらのマナーが適切に実践されていて、司会者も質問者も気持ちよく質疑応答することができます。後のセッションがなければ、時間的に余裕があれば、質問時間を切り詰めたりしません。質問者の質問を大声でさえぎるような馬鹿な司会者はいません。質疑が盛り上がれば、多少時間が超過しても、質疑を優先させます。演者の講演・発表が終わってから、司会者が、愚にもつかないまとめをだらだらと述べて、時間を浪費することはありません。そもそも、海外の学会では、質問する人が沢山いることを前提に学会が運営されています。ところが、日本では、質問する人がいないセッションが普通で、司会者が時間をもてあますことが多いのです。それは、日本の文化なのかもしれません。とくに、製薬企業の人たちは「自分たちは質問してはいけない人種である」と教え込まれているようなので決して質問しません。なので、薬物療法のセッションなどでは、フロアの半分以上を占める製薬会社社員はくろこであり、会場は「半分空席」と同様なのです。また、看護師も質問しません。看護師は、自己表現の習慣が乏しいようです。自分の考えを理路整然と述べる、要領よく短くしゃべる、ことが出来ないひとが多いことに加えて、学会で質問しよう、という意志を持たずに学会に参加する人が大部分、学会で黙って座っていよう、というひとがほとんです。司会者はこのような、silent majorityを如何に鼓舞して、如何に演出して、会場からの質問を引き出すか、ということも、与えられたミッションであると思います。よくあるのは、二人の司会者がいて、機械的に、セッションを前半と後半にわけ、ここからは、私が司会を変わります、といって、もう一人は役割ごめんで、後半、壇上で静かにしている、とか、司会者が一人でしゃべりまくって、会場からの質問者にさえぎられてはじめて話をやめる、とか、沈黙のうちに、パネリストひとりひとりに、同じ質問を順番に機械的に繰り返していく、とか、質問者がマイクの前に長い時間立っていることに気づかずに、不手際な司会を続け、時間になりましたので、このセッションを終わりにしたい、と言ったり。学会は質問者が主役である、という原則にたち、もっと、上手な司会をしなくてはいけません。また、あまりに高齢者に司会をさせると古風な流儀で、無駄な所に時間を費やし、死んだようなセッションとなります。もっと、ダイナミックな質疑応答が出来るような文化に衣替えしてほしいものです。
がん治療報道に思う
芸能人のがん体験がワイドショーで連日報道され、それを見た人たちが「がんが心配」「しこりがある」「ちくちくいたい」などと、外来に殺到しています。医療機関としては極限の状況の中で精一杯対応しており、結果、ほとんどの受診者は、大丈夫、心配ないですよ、何かあればいつでも来て下さいね、という対応で終わっています。有名人のブログには闘病日記が克明に書き綴られ、ワイドショーのコーナーで毎日、詳細に伝えられていています。特に取材努力はしなくていいわけですから、楽なものです。本人がブログを書く心境は、私がこのブログを書いているのと同じだろうし、芸能人だからと言って特別な思惑があるわけではないでしょう。受け取る側の一般ピープルは、冒頭のような「行列のできる診療所」状態をもたらしています。一方、がん治療を専門とする我々は、宮良通信からのコメントにもあったように、なんでそんな治療になるの?? うちでははそんな対応はしないよ、当然術前ケモだろ!、余命云々なんて論じる時期じゃないだろう!!!、など感じることは山ほどあります。また、今後抗がん剤治療が始まると、副作用のこと、脱毛だ、悪心嘔吐だ、体が日増しに弱っていくだのと、ワイドショーで「地獄の苦しみ」みたいに報道されるに決まっていて、予想される世の中のネガティブな反応には今からうんざりしています。がんの状態、治療の選択肢、治療の目的、治療をうけるに当たっての「得るもの」と「失うもの」のバランス、つまりトレードオフの考え方、などが、わかって報道するワイドショーなどはありっこありません。大根を買ってサンマを買って秋の味覚を味わいたければ、その代償として多少高かろうが、サンマ一匹300円でもお金を払うでしょう。それと同じで、がんを治したいのならば、その代償として多少の副作用は、耐えて、忍んで、乗り切って行かなければいけないものなのです。その覚悟がなければがんを克服することはできません。
座右の銘 「原因と結果の法則」
ある商業誌から「座右の銘」を書いてほしいと頼まれました。書いたのでそれをここに流用します。
座右の銘 「原因と結果の法則」
私は「管理」という言葉がどうも好きになれない。Wikipediaによれば、管理とは、「組織の目的を効果的かつ能率的に達成するために組織そのものの維持や発展を図ること」となっている。組織の効率的運営は重要な目標である。しかし、管理という言葉には、組織のメンバーを上から目線で取り締まるような意味合いが感じられるからである。
1982年から2003年まで、私は国立がんセンター中央病院に勤務(1983年から1987年は米国留学)、JCOG( Japan Clinical Oncology Group)、National Surgical Adjuvant Study (NSAS)などで、乳がんの臨床試験に積極的に取り組んでいた。GCP(臨床試験を倫理的、科学的に、計画、実施、解析するための基準)が整備されつつあった1995年頃、「臨床試験管理室」が開設されることになったのであるが、その準備段階の会議で「管理室」よりも「支援室」の方がいいのではないか、と提案したところ、「おまえみたいないい加減な人間ばかりだから管理が必要なんだ。」と、恩師、阿部薫先生から、たしなめられたことを覚えている。
翻って考えてみると、確かに、いい加減な人間、自分に与えられた任務を心得ていないような人間ばかりからなる組織ならば、外部からの、あるいはリーダーによる厳しい管理、締め付けがなければ機能しないだろう。阿部先生から、その頃に推薦された本がジェームスアレン著「原因と結果の法則」である。「正しい思い」が「正しい行動」の元となり、正しい行動の繰り返しが、「正しい習慣」となり、繰り返される一定の行動は、周囲からは「人格」と認識されるようになる。そして、その人格を慕って人々が集まり「よい環境」が形作られ、そこでまた、正しい思いが育まれる。すなわち、原因=「正しい思い」、結果=よい環境というのが、私がこの本から受け取ったメッセージである。
がん診療に携わる医療者としての半生を通じ、自分が持ち続けている原因=「正しい思い」は何だろうかと自問してみた。それは、「利他の心」である。自分のためにではなく、患者、同僚、先輩、後輩のためを思うこと、どうすれば他人が満足し、喜びを感じることができるか、と慮ることである。それが、よい行動、よい習慣、よい人格、よい環境へと連なるのである。私たちは弱いもので、ついつい、私はいやです、僕はやりたくありません、と「自己の心」が表にでてしまうもの。しかし、どんな立場に置かれていても、自分の役割、立場を客観的に見つめ、自分に与えられた任務(mission)を認識し、情熱(passion)を心の内に携え、周囲を鼓舞するためにも、元気に明るく(high tension)行動すること、そうすれば、管理されなくとも、人の集まりの中に目的意識が共有され、効果的、能率的に達成されていくという、サイクルが成立するはずである。
ゆるい企業
よく企業体質とか、企業風土とかいいますが、企業の体質としてとてもゆるいっていうのがありますね。氷山の一角かもしれませんが、一つはKM社。マンモグラフィを導入したのが8年前、当時の営業担当者「K氏」がいろいろと連絡してもほとんど訪問してこず、依頼したオプション部品を何ヶ月経っても持ってこず、いったいどうなっているのか?と問い合わせたところ、あっ、来ていました、と、上司が持ってきて、結局、K氏は、登校拒否になったような、よくわからない状況で担当が交代した。最近でも対応は悪く、ビューワーのシステムアップをしたところ、今までのデータのバックアップに時間がかかるということで、夜間も昼間もずーっとずーっと、電源を落とさず、データ移行をしているのだが、移行が終わらないと次の作業に入れず、3ヶ月経っても、まだです、まだです、と技術部門担当者が言うので、おとなしく待っていた。連休が明けて、例のプロレスラー乳がん報道で、どっと受診者が増えて、大変な時にビューワーがフリーズの連続で、いよいよ、堪忍袋の尾が切れて、いったいいつになったら終わるのですか? 営業担当に訴えたところ、来週に作業できますと。そのような予定ならば、予めの見通しを連絡するなり、作業計画をしめすなり、どうもKニカMノルタの企業体質が緩いようだ。同じような緩さは、アウトランダーの三菱自動車にも言えることで、さんざん、連絡しても・・・ということが何度もあり、こういう体質だから、繰り返しのリコールにいたったのだろうかなーと、何となく納得できる。VW(フォルクスワーゲン)の問題は、また、別のあくどさ、狡猾さがあり、不誠実、しかも、地球を欺くような悪行なわけだから、緩さと言うよりは、二度と立ち直れない状況と言えるだろう。昔、オレンジ色のフォルクスワーゲンビートルに乗っていた私にとってはVWの問題はとても他人事とは思えない残念な事件であるが、あの会社は消滅するかも。
海図なき船出
乳がん術後薬物療法のセカンドオピニオンを提供した患者に対して手術の前に外科医から次のような説明がなされた、と記録がありました。「癌の治療方法として、化学療法や放射線療法、ホルモン療法が挙げられますが、根治を目的とした治療方法としては手術が最も有効とされております。術後病理学的所見によっては手術以外の治療を追加する可能性があります。」これは、次のような理由により、間違った説明だと思います。
(1) 「手術が最も有効」という点:微小転移存在の推測、およびその制御が治療の成否を決定する最も重要な要素です。手術は局所制御および、がんの性格診断と言う点では有効な手技ですが、最も有効ではありません。
(2) 「術後病理学的所見によっては」という点:このようないきあたりばったりの取り組みは昭和の時代に終わりました。現在は、まず、治療着手の前に、がんの性格診断(生物学的特徴、具体的にはホルモン感受性、HER2活動度、グレード、など)を針生検などを行って、明らかにして、全身治療(薬物療法:抗がん剤治療、ホルモン剤治療、抗HER2治療)および局所治療(手術範囲、放射線照射)のうち、どれをどのような順番で適応していくかということについて、「治療の設計図をあらかじめ策定すること」がデフォルトスタンダードとなっています。「advanced care planning」という表現がもてはやされていますが、予めの治療の計画(あらかじめのちりょうけいかく)ということですから、まさに、治療の設計図を描く、ということです。
同じようないきあたりばったり的取り組みは静岡県のある県立病院でも行われていますが、古き良い昭和の時代を彷彿とさせる、というようなノスタルジックな話ではありません。こんな取り組みは、海図を持たずに船出するようなものです(当該海域:陸奥湾、駿河湾)
脳タリン学生に何を教えろというのか 秋の憂鬱の一コマ
浜松医科大学4年生の講義、毎年毎年、憂鬱な気持ちで、しかし、最新の情報を盛り込んだ自信作のスライドを用意して出向きました。パワポ資料を事前に担当講座の秘書さんに送り、秘書さんも心得たもので、きっちり学生人数分だけしかコピーしません。階段教室に入ると60-70名程度の学生が教室の後ろの方から前の方に密度勾配を持って座っています。10人ぐらいは寝ています。資料を置いて「資料を前の方にとりに来て下さい。」と言うとぞろぞろと降りてきますが、親切に出席していない友達の分も取っていく学生が多く、遠慮がちに後から取りに来た女学生約10名は資料がもうない、という状況。「複数持っていた人は返して下さい。」と叫びに叫んで渋々と何人かが返却しました。浜松医大では出席は取らないようですが、残った資料が22枚、119−22−α、が出席者数です。授業開始前に講義室の照明をめいっぱい明るくすることを覚えたのでそうして、「寝ている人は起きて下さい。」を大声で無機的に5回繰り返す。これほどにレベルの低い学生たちなのである、国立大学医学部といえどもね。「私は浜松オンコロジーセンターの渡辺亨と言います。君たちのために忙しい診療を切り上げて講義に来ました。今日は第二内科の系統講義として『ホルモン依存性腫瘍』の話をします。」と、これまた大声で宣言。講義が始まるとすぐに、出て行く学生ひとり。こういう馬鹿はほっとけばいいのだが、教育に来ている立場なので、ひるまずにすかさず「きみきみ、どこへ行くんだ?」、講義はこれで中断。「荷物を置いて着替えてきます。」とほざく。「バカヤロー、そんなことは講義前の休み時間にしておけ。」という内容を、少し上品に伝えた。その後、しばーらくして帰ってきたが、まるで自分のやっていることがわかっていないのである。後ろの方で、スマホを見ている学生、前の方で、明らかに講義とは無関係な書類をみている女学生、隣の学生としゃべっている馬鹿者もいるし、生化学の基本的な事もしらず、全く脳タリン学生がよくもこんなに集まったものだ。この集団にあと2回、講義に来なくてはならない。秋の憂鬱はこうして始まった。
そろそろ始動
今年の夏も暑さのピークを過ぎ、今週の青森は気温19℃と肌寒い夜でした。北大医学部の同窓会誌「フラテ」の編集部学生11名が静岡県を訪れている。「フラテ各地を行く」という企画で、全国の北大卒業生を尋ねてインタービュー、座談会をして回るのである。我々のころも「フラテ」はあったのだが、編集部としてクラブ活動のような位置づけで活動していたという認識はなく、学生たちが、こんなに熱心に取材をしているとは知らなかった。座談会は明日だが、昨日は、浜松オンコロジーセンターに9名が見学にきて、街角がん診療を体験してもらった。昼からは、「かんたろう」のうなぎをごちそうしてあげた。雨のなか、タイミング良く、生きたウナギがお店に配達され取材班、グッドショット!! うなぎを堪能してから全員を浜松医大臨床薬理の渡邉裕司先生の元にお届け。昨晩は、学生の総決起集会とやらがあってその後、浜松のOB、中島先生、林先生、渡邉先生、椎谷先生と深夜までもりあがり。学生たちは、今日は、静岡でお茶摘み体験に行っている。椎谷先生は富士山をバックにしたコスプレを強要していました。明日は、静岡でフラテ会、明後日は浜松で市民講座、来週は浜松医大でホルモン依存性腫瘍の講義なり。夏休みも終わり秋の活動が始まります。
看護師になる君たちへ
看護大学1年生の講義に行ってきた。1年生ということなので、がんのことをわかりやすく話そうと「がんで死ぬ人、がんで死なない人を看る君たちへ」と題して講義を準備していった。平坦教室には120人弱の学生がびっしりと座っている。同じ柄のサリーブラウンのTシャツを着た仲良しこよしが並んですわっていたり、男子学生が一番前で懸命にノートをとっていたり、寝ている学生は一人もいない。浜松医大とは大違いだ。予防の話、食生活の欧米化の話、検診の話、治療の話・・。みんな時々、講義の内容に反応しておしゃべりはするが、携帯を見たりする学生はいない。無秩序・無限、転移・再発、圧迫・撹乱の「がんの特徴お題目」の唱和もよくそろって大きい声でできた。最後に、「ナイチンゲール誓詞」を示した。「守秘義務」や「チーム医療の精神」、「ワーク・ライフ・スタディバランス」の真髄が短い成句に絶妙に込められている。学生達は最後にいろいろと質問してきた。講義が終わって廊下ですれ違う学生は皆、礼儀正しく挨拶をする。サリーブラウンのふたりとすれ違ったら「先生、授業楽しかったよ、又来てね。」と笑顔(^_^)。大学施設内を案内されて回ってみると、講義が終わると休み時間もとらずにすぐに実技の実習室で懸命にベッドメーキングを習っている学生と目があった。(^_^)と会釈がすがすがしい。4年後には看護師となる君たちへ、看護師になっても、そのままの礼儀正しさと、集中力と、質問する意欲を持ち続けてほしい。学会でも積極的に質問し発言してほしい。どうも看護教育が間違っているらしく、残念ながら、君たちの先輩は、学会や研究会、講義や、授業でも、質問もしない「サイレントマジョリティ」だ。そうならないようにがんばってほしい。無秩序・無限、転移・再発、圧迫・撹乱は、山崎教授が試験に出すと言っていたよ。
