夏色のNancyと共に


ドイツ語でWien、発音はヴィーン、英語でVienna、発音はヴィエナ、オーストリアなまりのドイツ語だとWien、の表記で日本語にのウィーンに少しちかい、ウにてんてんではなく、ウにてんぐらいの発音になるそうです。日本語では、Wienを日本語的に読んでウィーンですが、ドナウ川も、ドナウ川(ドナウがわ、ラテン語Danubiusスロヴァキア語Dunajセルボクロアチア語Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, ブルガリア語: Дунав, ルーマニア語: Dunăre英語フランス語: Danube:ダニューブ)と、ややこしい。それほどに長い歴史と、多くの民族と言語の入り乱れた複雑な地理の地域なんですね。なんで、こんな話をするかというと、今日の朝、羽田発のANA機で早朝にドイツのフランクフルトに到着し、ルフトハンザ機でヴィーン国際空港に。そこからは、パネリストの特権で、お迎えリムジンが用意されており、市街へ移動。同じ時間に到着したNancy Davidsonと一緒で、車内では、前出の発音の話で「That’s intersting. I didn’t know such difference.」ということでした。彼女はヴィエナははじめてだそうです。ちなみに私は2回目、15年前「Docetaxel is effective at a dose of 60 mg/m2」の演題をESMOで発表したことがありました。Nancyにヨーロッパに学会にはあまり来ないの?と聞いたら、very expensiveだし、アメリカにはレベルの高い学会がいくつもあるからね、という返事。そりゃそうだ、そりゃそうだ。また、2016年にDan HayesがASCOの会長をやるね、Breast Peopleは、会長やること多いね、といったらBreast Peopleは結束が固いから、というお答え、要は政治力と、同業者の仲良しこよし会で、日本の乳癌学会と同じだけど、日本ではBreast Peopleが癌治療学会とか癌学会の会長をやることはありません。それは、外科医社会の中で乳がんを専門というと、序列が下から4番目だからです、という話をしたら、Nancyは、That’s intersting.  一方アメリカではASCOの会長をやっているBreast Peopleは、腫瘍内科医であり、腫瘍内科医はグレードが高いからね、というと、Nancyは、I dont deny you. (否定はしないわ)とニヤニヤとしていました。日本では外科医が乳がんのケモをやっているという、絶滅危惧的特殊事情はとてもよくご存知でした。それで、Nancyは2016のAACRの会長は私がするの、と満面の笑みをたたえて言いました。DanがASCO、私がAACR、同じ年にどっちもbreast peopleよ、とのこと、会長をやるっていうことはとても嬉しいことのようです。それとか、20年前、1995年のSt.Gallenの時、Davosのスキー場で会いましたよね、という話をしたら、Yes, I remember that.  などなど、道中、Nacyとは夏色とまでは行きませんが思い出話が尽きなくて、INTI-0101はやっぱり素晴らしい研究でしたね、とか、SOFT/TEXTトライアルは予想したとおりの結果でしたね、といった肝心な話は全然せず、春色のダニューブ河畔を眺めながらの旅でありました。

 

何を言いたいんだかわからない時


St.Gallen2015の内容について京都、名古屋、熊本、東京などで話してほしいという依頼があります。光栄なことで喜んでお引受しました。今までもSt.Gallenの後にはこのような依頼がありまして必ずタイトルは「St.Gallen 20XX」として内容そのものずばりで一番わかりやすいと思うのでなんのためらいもなくそのようにしてきました。この手の講演はこちらが望むと望まざるとにかかわらず製薬企業がスポンサーとなります。参加者(聴衆)もそれは承知で講演はただで聞けるしスポンサーが懇親会の場まで設定してくれます。まあ、そのような風習が浸透しており、勉強は自分の金でするものだ! などとややこしい事をいう人もいないので製薬企業スポンサード講演会というのが当たり前という文化になっています。しかし、私も国家公務員であった時代から全国47都道府県を制覇するほど各地の講演会には出向いて来ましたし、講演料とか交通費は製薬企業のお世話になってきました。それが悪いという文化もありませんでしたし、講演のスライド準備とか、話の内容建てとかは、いつも工夫をして聞いてくれる方々に感謝されるように頑張ってきたので、それなりの報酬をうけとることは知的労働に対する正当なる対価と考えています。そんな姿を北大の加藤ちゃんは揶揄して「空飛ぶ治験屋」と命名してネガティブキャンペーンを張られてしまったのは2002年教授選敗退の年のことでした。そのキャンペーンが正しくなかったことはその後の歴史が物語っているところですが、世の中はそういうものです。それで話を講演タイトル「St.Gallen 2015」に戻します。今年は、TKD社が学会発表された内容を自社の営業に都合のいいように書き換えて講演会で使ったというおちゃめなことをやってくれたので、「学会発表内容を自社製品のプロモーション(販売促進)に使ってはいけない!!というプロモーションコードが製薬協でできて、自らを戒めて深く反省する、ということになりました。そのコードが間違って解釈されているようで「講演会に学会名を入れてはいけない」となったようで「St.Gallen2015」は、まかりならん、ということになったのですね、おかしな話! そのことは後でわかったことですが、打ち合わせの段階で、各社の担当者が入れ替わり立ち代わりやってきて講演のタイトルを「乳がん診療最前線の話題から」とか「世界の標準治療からみた乳がん診療」とか「乳がん標準治療2015」などでいかがでしょうかといってくる、なんか煮え切らない、引きつった笑顔で、うじうじ、もそもそ、へらへらというので「何を言いたいんだかわからないんだけど、St.Gallen2015の話をしてくれというから、そのように、わかりやすいタイトルをつけてなんでだめなの?」と聞いてもわからない、理由を聞いてもわからない、にゃんにゃんにゃにゃん、笑っているばかりのぜねこちゃん♪、という感じなのです。麒麟のお巡りさんから話を聞いて、納得はできないものの理解はできたので、「そんなことは論旨のすり替えではないか! 学会発表の内容を不正に変更して発表した悪行を禁止するのは当然であるが、それと学会発表内容は講演するなとか、学会名の一部をタイトルに入れてはならんという話は、全然、関係ない話ではないのでしょうか?」と担当者諸君に言うと、自分たちもそう思います、とはっきり言います。彼らはまともです。しかし、こころ貧しく品性さもしい製薬企業社員が販売促進を強いられて苦し紛れにやってしまった悪行は「われわを試みに合わせず悪より救い出したまえ」と祈り、悔い改めなければなりません。

もうすぐSt.Gallen2015


3月中旬にはSt.Gallen 2015が開催されます。パネリスト間でのスライドチェックも終わり、あと2週間でもう一度、予習をします。今回は内容的には大きな変更はないと思いますが、遺伝子発現に基づく予後推測、治療効果予測が世界では一般化しているのですが、日本では行政の切れ味が悪いため、なかなか承認に至らず、2年前と同じように「日本ではここに上がっているオンコタイプもマンマプリントもプロシグナもエンドプレディクトも、ガバメントがアプルーブしていません」と発言しなくてはなりません。そうすると周囲のパネリストから「オー、リアリー!?」と、驚きの声があがることになります。パネリストとしてはとってもはずかしいのですが、ジャパニーズガバメントが悪いのか、話をもっていく企業が悪いのか、後方から支援している医学専門家の不手際なのか・・・。

St.Gallenのあとは、国内でいろいろな先生がたに呼んでいただいて、内輪話をも交えて、日本の近未来を語る会があちこちで開催されます。これは、毎回、いつもとても楽しい会になり、討議、討論も盛んです。いつの、どこでだったか、にしやませんせいというかたが、「タモキシフェンが復活したり、わけがわかりません。そんなでたらめな専門家ってあるんでしょうか?」と、厳しいご指摘を頂きました。たしかに、2002年にアリミデックスがタモキシフェンに買った!! というランセット論文から、タモキシフェンの時代はおわり、すべてアロマターゼ阻害剤だぜ、となりました。その後、フェマーラも、アロマシンも、同じくアロマターゼ阻害剤はどれもこれも素晴らしい!!という論調になりました。しかし、日々の診療で、関節痛とか、骨粗鬆症骨折とか、体の冷え冷えを訴えをアロマターゼ阻害剤内服している患者から頻繁に聞くようになると、結構副作用強いな―、使いにくいなー、でもエビデンスではタモキシフェンよりいいって言うし・・・と思っているうちに、関節痛などの副作用の出る人のほうがよく聞く、なーんていうことをジャックキュージックが言い始めて、ああそうなのか、と患者さんに我慢して続けようね、よく聞いているっていうことだから、と言って続けるも、その後のデータで、タモキシフェンに戻してもいい、とかCYP2D6 遺伝 子タイプによっては効くかも知れない、とか、そもそもタモキシフェンとアロマターゼ阻害剤の効果の差の大きさは僅かなものじゃないの!? 5000症例とか9000症例の比較で有意差になるけど生存曲線みても肉眼では1本に見えるような差程度じゃあね・・ということも浸透してきて、タモキシフェン復活という話になり、世界のコンセンサスがより戻されたというわけでした。その辺りの微妙な経験知の蓄積を、にしやまくん、今ではわかってくれるかなー、ことしも熊本行くけど。

情熱をもって人を助けよ


教会の鐘の聞こえる街角で 働きたいという人がいる
私は地獄のすぐ手前まで 助けの船を漕いで行きたい

東京の築地の街の真ん中で 豊かなカリキュラムで研修したい医師がいる
九州の時化の海を超えて行く 私は離島医療に尽くしたい

我々は他者の苦しみを分かち合い その重荷を負い その必要を助けみたしてやるとき 医療者の本分が発揮される
このことをはっきりと自覚するならば 事情は変わってくるのではあるまいか 情熱をもって人を助けよ

(詠み人:オンコロプリンちゃん2号)

外科医がなんでもやりたがる時代


かつては外科医は手術を中心に何でもやらなければならない時代だった。外科学の発祥から現代まで、進歩につれて多くの学問を作り上げてきた。手術に伴う麻酔学や、無菌操作のための感染症学や、診断のための病理学などなど、である。移行期には外科医が麻酔をかけていたが、麻酔学、麻酔科が暖簾分け、分家独立して外科医がかける麻酔は「自家麻酔」と呼ばれるようになり禁止されるに至った。だから、麻酔学会の期間中は、手術ができなくなり患者さんは待たされる。学問の進歩とはこんなものなのだ。病理診断然りである。移行期には外科医が自分たちで病理診断を行っていた。病理学講座というのが大学にはできたが大学の病理医は数も少なく実験病理が本業で外科病理には興味がないという時代が長く続き、そのため、大学の外科学教室には自前で病理診断を勉強する外科医が育ち、病理学講座にはお世話にならなくてもうちで診断できるから、という時代が長く続いた。草野球で打順の回ってこない人が審判をするようなもので、客観性にかける、お手盛りである、ということで、次第に病理診断医のアルバイトとして「外注診断」が行われるようになってきた。質が保たれているかどうかは怪しいところだが客観性は保たれ草野球よりはマシである。これも学問の進歩である。感染症学、無菌操作などは、外科医が目くじらをたてて、手術前の手洗い道を若手に徹底的に教え伝承されてきた。しかし、感染症学が分家して専門的に検討してみると、古来よりの手洗い方法は無意味、不要ということになってしまった。今や、手術前の手洗い道は伝統芸能と化しているが、脱皮できない外科医が今でも伝統芸能を手洗い場で披露しているので見学希望のかたは手術場の看護師にお尋ねください。学問の進歩とはこんなものだ。昨日、第11回中部乳癌会議が開催され、例年通りの白熱したディベートと、昨年から取り入れた、ディベート対称となるような「uncertain」「グレーゾーン」「イクイボカル」「イクイポイズ」「イクイクミコ」の成り立つような臨床問題(クリニカルクエスチョン)について、臨床試験のコンセプト立案というセッションは実に内容の濃いものであった。岩田先生も私も半生を傾けたといえるぐらい、長い期間、臨床試験に関わってきたし、新しくファカルティメンバーに加わった安藤正志先生は近代臨床試験学の祖といえるぐらい、プリンシパル、ストラテジー、タクティクスを心得ているので、彼のコメントは鋭く、この討議は実に充実し、そのうちここで生まれた臨床試験も多数走りだすだろう。さて、初日には、津川浩一郎先生に、「若手に送る言葉」を1時間語ってもらった。特に乳腺専門医については、私とは多くの乳腺外科医との間に意見の相違があるので、津川先生の話には、全く賛成できないような内容ではあった。しかし、津川先生の取り組み、20世紀型のなんでもやりたがる乳腺外科医の現状を手際よく、印象的に、美しく語ってくれた。津川先生の優しくおおらかな人柄も感じることができた。乳腺専門医として、乳腺外科医が検診、画像診断、病理診断、薬物療法、手術、遺伝子診断、緩和医療などなど、全てをやりたがる20世紀の話は、21世紀を生きていこうとする若手にはどのように受け止められたのだろうか? 学問の進歩は、細分化と統合の繰り返しだから22世紀には再び統合されるようなことがあるのか? 病理診断やサブタイプ分類などは、簡便なリトマス試験紙みたいのができていて、ぺろっと舐めると即座に答えがでるような時代になるのだろうか? 時代の進歩の方向や速度を見誤らないようにしよう、というのが若者へ伝えるべきメッセージである。中部乳癌会議ではもう一つ面白い話を聞いた。三重県では東京で標準となっている治療が県庁所在地の津に伝わるのに10年かかり、そこから県境の市町村に伝わるのに20年、計30年かかると言うのだ。辺境地域ではいまでも「Bt+Ax(乳房切除と腋窩郭清)で薬物療法なし」が乳癌の標準治療なのです、という話には説得力があった。もう一人、世の中を知り、洞察力のある三重県からの参加者は、三重大学ももっと頑張ります!!という力強い宣言も聞かれた。大府乳癌会議は今年も有意義な二日間であった。来年は山内英子先生をお迎えする。帰りは恒例の清水家うなぎ祭で締めくくった(文責:おんころぷりんちゃん)。

制度矛盾の院外調剤


チーム医療を重視する方向はオンコロジーだけに限ったことではないでしょう。オンコロジーではとりわけ医師、薬剤師、看護師など、異なったプロフェンションの協調は不可欠であり、チームとしての協力が前提として診療が成り立っています。がん薬物療法を専門とする腫瘍内科学が日本でも2000年前後から急速に発展しており、がん治療において内服薬剤の占める比率も急速に増大している昨今、チーム医療を分断するような「院外調剤」は全く時代にそぐわないものと実感されます。今日の朝日新聞にも、福太郎だけでなく、HACドラックも、そして、芋づる式にその他の調剤薬局でも、薬剤調剤歴の記載漏れと不正請求が行われている、という記事が一面に掲載されていました。その実態はあまりにも広範囲に及んでいるため、厚生労働省も本腰を入れた捜査はあきらめている、とも書かれていました。監督官庁である厚生労働省が実態調査に匙をなげてしまった、ということは、薬剤調剤履歴の記載を怠っている調剤薬局が大多数ということなのでしょう。つまり、薬剤調剤履歴を記録すること自体無意味なことと認識されているということなのだと思います。ではなぜ、調剤薬局薬剤師は、薬剤調剤履歴記載をこうまで怠っているのかを探ってみると、そこに、院外調剤という制度自体の矛盾、無理があるのです。履歴を記録出来るだけの情報がない、履歴を記録する必要性がない、履歴を記録できるほど患者は継続して調剤を依頼しない、薬剤師に記録をするだけの能力がない・・・。調剤薬局の薬剤師一人が一日あたり扱う処方箋は40枚以下とされていますから、その程度の業務量なら、時間がないということはないと思います。そもそも、保険医(つまり、保険診療を行うことが許可されている医師)が守るべき法律として「保険医療機関及び保険医療養担当規則」(通称「りょうたんきそく」)があります。この第二条の五には(特定の保険薬局への誘導の禁止)が以下のように規定されています。当該保険医療機関において健康保険の診療に従事している保険医(以下「保険医」という。)の行う処方せんの交付に関し、患者に対して特定の保険薬局において調剤を受けるべき旨の指示等を行つてはならない。」つまり、患者には「どうぞお好きな薬局でお薬を買って下さいね。」と言わなくてはならないということです。患者に「◯◯2丁目の越後屋薬局は抗がん剤のことをよく勉強している薬剤師がいるからおすすめですよ」とか言ってはいけないのです。ということは、患者は自由に、今日はA薬局、次はB薬局、コーヒーがただだから来月はC薬局にしようと、かならずしも、決まった薬局に通い続けるわけではないのです。すると、調剤薬局側から見ると同じ患者が続けて来ないのだから「履歴記録」というものが意味を成さないことになります。なぜ、特定の保険薬局への誘導が禁止されているのかというと「患者に対して特定の保険薬局において調剤を受けるべき旨の指示等を行うことの対償として、保険薬局から金品その他の財産上の利益を収受するから」というのが理由です。「宮悪クリニック様、なにとぞ、私共に処方箋をお申し付け下さい。つまらないものですが、これでひとつwin-winということで・・」、「おっ? そうか、越後屋、お前も悪よのー」の性悪説に基づいて、へんなところで規制をしているので、形ばかりの「履歴をつけなさい指示」は、そもそも制度的に無理があるのです。わけあって厚労省は長年、院内調剤を廃止して院外調剤へ移行するように不自然な行政誘導を続けてきました。その結果が、今回のような履歴未記載問題が露呈したのです。というか、あまりに、調剤薬局が花盛りになってしまったので、これもけしからんと、どうにか、懲らしめる名目はないものかと、探した結果、よし、これで締め上げよう、ということになったようになったのではないでしょうか? 次回の診療報酬改訂で、調剤薬局の点数を大幅に削るための口実として行政とマスコミが協力して雰囲気作りをしているように思えてなりません。

ついに ロックオン調剤薬局


がん治療では、点滴抗がん剤副作用(吐き気、感染症など)の予防・緩和のための飲み薬、飲み薬の形の抗がん剤、そして今後主流となる分子標的薬剤が、「院外処方」により、「調剤薬局」で処方される。この「院外薬局」については、降圧剤、高脂血症治療薬、胃薬、便秘薬、風邪薬などの、特に問題のない薬が主たる対象となってきたが、ここに、がん治療につかわれる前記の薬剤も加わるようになって、様々な混乱が生じている。吐き気どめ、浮腫予防などに使用するステロイド剤、通常よりも短期間に多い量が使用されるが、これに対して不勉強な調剤薬局薬剤師が「こんな量を使うなんてとんでもない!」と患者に言ったため混乱した話、内服抗がん剤ティーエスワンが男性患者に処方されたが、奥さんが調剤薬局に薬を買いに行って、本人と勘違いして、病名も確認せず、腎機能も確認せず、処方されたけど、トンチンカンな説明で混乱した話・・・。なので、がん治療においては、内服薬の院外調剤は不適切だと思っている。昨日、多地点看護カンファレンスで提示された症例でも、患者が正しく服薬できなかった原因の一端は、院外調剤薬局にあったと考えられるような事例であった。浜松地区でも、薬剤師が「薬ー薬連携」といって、病院薬剤師と調剤薬局薬剤師との連携で、がん治療薬を適切に処方使用という努力がさんざん行われたが、私は、この活動を横でみていて、「電子カルテを共有して、国民背番号(マイナンバー)導入されて、患者情報が共有されない限り、現行の『処方箋一枚からの謎解き処方』は限界がある」と思ってる。しかも、患者は、不便を強いられ、高い医療費を負担しなくてはならない。一昨年のことだったか、「調剤薬局花盛り」というコラムが朝日新聞に載っていた。「塾や、昔からの商店が閉じたあと、あちこちに調剤薬局がオープンし、しかも、長者番付の上位に名を連ねている」という内容で、まえまえから噂されていたように、そろそろ調剤薬局冬の時代か!と思っていた。今日の朝日新聞、「くすりの福太郎」が、薬のカルテを全く記載していなかった、けしからん!!ということで一面に載っている。「◯◯さんに、いつ、どんな状況で、どんな薬を調剤した」という記録を薬のカルテと呼び、その記載が義務付けられているのに福太郎ではそれをしていなかった、というもの。そうはいっても、どんな診断で、どんな臓器機能(腎臓が悪い? 肝臓は?)かもわからず、しかも家族が取りに来れば、肥満か、痩せかも把握できない状況では、記録なんて、形ばかりのもので、その必要性も感じないのだから、記載もれ、となっても不思議ではない。そもそも、薬剤師は6年間の高等教育をうけて、国家資格を得、それで、調剤薬局で、薬のピッキング程度のことしかしないのでは、なんのための教育か? と首をかしげる。そもそも調剤薬局ができたのは、診療所などで医師がいい加減に薬剤を出していた、副作用にも注意を払わず、仕入れ価格も不明確、この状況を当たらめねば、という表向きの理由で院外調剤という仕組みが30年ぐらいまえに導入された。しかし、今回のロックオン、この流れを変えることになるだろう。今こそ、「診療所に薬剤師を配置すべき」、診療所内での、医師、看護師、薬剤師のチーム医療で、多職種相チェック(監視)の体制を整えるのが正しい医療の方向であろう。

本末顛倒のような気がする


非正規雇用を減らし正規雇用を増やせ、と共産党などは言っていますが、そもそも非正規でしか雇用されない人はそれなりに訳があるのではないか。つまり、小学校、中学校、高校、大学と、きちんと勉強せず、世間のために役立とうという気概もなく、要するに自己研鑚を怠ったために正規に採用されるに足りる付加価値、能力が備わっていないのだから、それは、それに見合っただけのポジションしか得られないということではないだろうか。だから、若者たちに遊んでばかりいないで勉強しなさい、という教育の徹底を図るのが本来、まず取り組むことではないだろうか。

女性の登用、雇用促進、機会均等と厚生労働省は言っていますが、それは、それなりの能力が備わっているのならば、登用してもいいけれども、能力に劣る人を女性だからと言って、過剰に優遇したり、登用するのはどうかと思います。そのような感じで登用された女性で、立派にやっている人もいるかも知れませんが、どうもね、これはね、ということもある。仮に男性がそのポジションについていたとしても、能力がなければだめなんだろうけど、あまりにも女性を女性を、というのも、ちょっと引っかかります。だから、女性も男性もなく、能力面での公平評価をし、女性は女性としての良い面があり、男性は男性としての優れた面があるのだから、やたらに均等というのはどうかと思います。

3つの定年 パート2


第三の定年(この世との別れ)は通常は自分では決められません。神さまとか仏さまとか、お天道さまとか、それぞれに信じるところが決める、ということになっています。第一の定年、すなわち社会的定年は55才から65才の間にさだめられており、通常、所属する組織に規定で定められていますから、しっかりした組織では、これを自分で変えることはできません。ゆるい組織ではそうでもない場合もあります。第一の定年をそろそろ迎えようという人達が私の周りにはたくさんいます。というか、そういう年齢になった、ということです。その時期になると、これでもか、これでもか、と、権利と勢力を誇示しようと、「教授就任15周年(ほぼ定年)記念パーティー」の案内を1年以上前から配らされている医局長もいます。他の予定は絶対入れるな、出席しない奴は容赦しない、といわんばかりの上司の代行も哀れさを感じます。そのあたりは、ひっそりとやるのがよろしいのでは、と思いますが、権力を誇示し、第二の定年の職場へのきらびやかな移行を誇示したいのだろうと思います。また、もぞもぞと第一の定年後の準備を地味にしている同輩もいます。後継者がすでに着任してしまって押し出されるまでの時間つぶしをしていたり、混乱の中に定年を迎えざるを得ずいつの間にか近くの池にごそごそと歩いて移動するような地道な渡り鳥もいます。この時を迎えて、それぞれが今まで背負ってきた人生が投影される時であり、自らを冷静に吟味する時期でもあると思います。しかし、この時期に私生活も、公生活も乱雑なままになっているとずいぶん大変なように思います。しかし、複雑に絡み合ったしがらみのなかで、もがくのも、自らが作ってきた人生なのでしょう。第一の定年についての考察でした。

残念なコンセプト


「正しい教え方は、生徒に何を覚えるかを教えることではなく、生徒にどのように考えるかを教えることである」そうです。臨床試験の計画もそのように理解しなくてはなりません。CSPOR年会で提案された試験案、どうも胡散臭い。どのような「未解決な問題」「臨床的平衡状態の問題」を対象にどんなデザインの試験で解決するか、ということで、NSASシリーズ01から07まで、そのように計画され、実行され、結果を出してきました。ところが、「どこ企業から寄付をもらうためにどの薬を対象にするか」という、みみっちい、くだらない発想に堕してしまっていませんか。案の定、応援団長の発表が終わったら、ふやけた顔の青二才が、すぐに駆け寄ってきて、ありがとうございますと・・。ああ、なるほどね、フェソロデックスを対象としてどうか、ひとつよろしく、ってことなんだな、と、聞いてガッテン、ためしてガッテンです。まあ、台所事情を考えると、もらい乞食になっても仕方がないかもしれないけど、やっぱり、医学研究者たるもの、与えられしミッションを心得よ! 崇高な理念に燃えよ!と思います。いっかーん!!