いつまでたっても親方日の丸


毎週火曜日は東京秋葉原勤務である。週1回なので診療終了後もCSPOR DATA CENTERに行ったり製薬企業とのビジネスミーティングがあったり、患者団体の何でも相談にいったりと、雑誌の取材に応じたりなんだかんだ、どんなもんだで、浜松に帰るのは10時ちょうど東京駅発の最終ひかり433号名古屋行きに乗ることが多い。東京駅14番ホーム、ここのキオスクで経験した不愉快な思いを題材に、何が問題なのかを考えてみたい。

 

14番ホームのキオスクは、940分に閉まる。だけどどうしてもポッキーが食べたかったので40分ぎりぎりにホームについた私はキオスクに直行した。ところが、キオスクは私が接近してくるのを知ってか知らずか、40分にシャッターを閉めようとした。それで売り子の子豚に「何で閉めるんだ、お客さんがいるのにその態度は間違ってはいないか、う~ん?」と冷静に詰め寄ると子豚曰く、「上からの命令ですから」と。子豚に説教しても始まらないとは知りつつ、「そのような考え方は間違っていると思うよ。現場のあなたたちが当事者をもち、上からなんといわれようと最後の列車を見送るまで、お店を開けておかなくてはいけないんじゃあないの? 上って誰なの、その連絡先、教えてよ。」と子豚ほか一名にむかってくどくと言ってみたのだ。子豚が、ふてくされた顔をしながらも、03-3281-6388とメモに書いて渡してくれた姿勢は高く評価したい。子豚は子豚で、同じような苦情がきっと、しょっちゅうあるにちがいない、対応もてなれたものだ。

 

それで、その番号に電話したところ「JR東海です。」と出た。上記の内容を繰り返して、「オタクはどう思っているのですか?」と聞くと「本社からの命令でして」と。「オタクとしてはおかしいと思いませんか? 940分閉店って、いったいどういう根拠で決めているわけ? だって、最終は1047分の三島行きでしょ。ふつう、サービス業なら、その時間まで、お店を開けておくのが道理だと思うけど、そうは、思わないの?」とねちっこく詰問した。「確かにおっしゃるとおりだと思います。」というので「じゃあ、明日、もう一度、この番号に電話するから、本社の電話番号を教えてくださいね。」と言って電話を切った。明日また電話してみるけど、この状況を考えてみると、国立がんセンターを頂点とするがん医療体制の無責任ぶりと、なぜか共通点が多い。そのわけは一言でいえば、現場意識、当事者意識の欠落だ。JRにしても、国立がんセンターにしても、基本的にはサービス業であるべきで、その割には現場の認識は甘く、中枢は感覚がずれており、親方日の丸体質が抜けていないのだ。JR東海はさておき、国立がんセンターが崩壊しつつある現在、やはり、現場感覚の欠如、時代感覚や国際感覚の乏しさが、根本的な問題であるように感じた。浜松につくまでの間にこの考察文を書いてみた。いつまでたっても親方日の丸ぅ~(私祈ってますの節で)

外科医改造計画 「さらば消一くん」


11月の1か月間、卒後8年目の外科医が浜松オンコロジーセンターに研修にきました。徒歩1分のところの「ホテルDayByDay」を研修宿泊施設として、朝8時30分から夕方6時までの外来見学、毎日、外来の合間や、昼休み、外来終了後の時間などを利用してマンツーマン指導による医師心得指導(教科書は小川道雄先生の「研修医早朝講義」)、患者とのコミュニケーションの取り方(教科書はSPIKES BC)、腫瘍内科学の真髄教育(教科書は渡辺亨)、人生哲学(教科書はジェームスアレンの「原因と結果の法則」)、EBMの実践方法(教科書は名郷直樹先生の「実践EBM」、薬物療法ABC(教科書はDeVitaのPPO)、,スライド作成の秘訣、プレゼンテーションの心得、保険医が心得ておくべき「療養担当規則」、コンピューターの上級者的活用術、アップトゥデート、ファイルメーカープロ、エンドノートなどの知的ソフト、ネットワークの使い方、などについての講義、実習を行いました。また、地方講演(今回は沖縄)に同行し、症例呈示を担当しての実践応用、地域のカンファレンス参加、食事会でのご教訓講話などを通じて、徹底的に指導したわけです。もっとも驚いたことは、有名大学を卒業して著名大学で卒後研修を済ませた外科医は、確かに、腕は鍛えられてきたかもしれないが、頭の使い方、知恵の使い方を全く知らないということでした。また、NEJMやJCOのホームページがあることも知らない、というのには思わず絶句してしまいました。いままで、学生、腫瘍内科医希望の若手医師、ある程度できあがった外科医などに対しては、数時間から数日の研修指導はしたことがあるのですが、今回、初めて消一くんを1か月間に亘り指導してみて、世の中の癌薬物療法がなぜ、うまくいっていないのか、ということがよくわかりました。それは、消一くんに、消一くんのままで癌の薬物療法をやらせていてはいけないのだということです。そこで考えたのが外科医改造計画、題して「さらば消一くんパッケージ」。消化器一般外科医(消一くん)からの脱皮、脱却をはかり、頭を使うことのできる外科医師に改造する「消一くんブラッシュアップパッケージ」、消一くんを腫瘍外科医に改造する「消一くんチューンアップパッケージ」、そしてさらに消一くんを腫瘍内科医にまで華麗に改造する消一くんバージョンアップパッケージ」の三つのパッケージをご用意しました。本人のご希望、ご施設の実情にあわせてお選びください。「老犬、芸を覚えず」とはいいますが、柔軟な姿勢があれば、年齢、経験は問いません。渡辺亨まで、ご連絡ください。

唯我独尊 問答無用


11月9日に日曜日、浜松市の防災訓練がありました。東海大地震を想定して負傷者の対応でトリアージを行う訓練です。患者役の一般市民、医師は、リアルなメークで、クラッシュ症候群だったり、目にガラスが刺さったり火の粉をかぶってやけどをしたりと、それはそれはど迫力でした。私は最初、振り分け担当で、黒、赤、黄、緑に分類するかかり。二回目は黄色のテント、つまり軽傷患者の対応のかかりを担当しました。黄色では医師4人ぐらいで、次から次へやってくる負傷者の対応をするのですが、医師のなかで一人、自分は災害医療の専門だ、みたいなふるまいと言動の若いのがおり、自分でかってにルールを決めて重い人から順番に「赤」のテントに近い方に移動させてください、とかってに指示をだしており、災害救急のチューターの医師が、それは必要ありません、といっても最後まで自分の主張を押し通しました。田舎の方の開業医師らしいのですが、これっきりの間柄だし、喧嘩する相手でもないので、知らん顔しておりました。往々にして他者からの評価や批判を受けないような立場にいるとあのような人間になるようです。あるいは、あのような人間だから他者からの評価や批判を受けないような立場にいるのかも知れません。これも大事なご教訓、他山の石なり。

パンドラの箱


乳癌学会北海道地方会に参加、教育研修委員会主催の教育セミナーで、治療(薬物療法)の講師を務めるためだ。前の日に山崎弘資先生から聞いていたので午前中の症例報告のところからじっくりと聞いてみた。う~んと、頭がしびれてくるような演題があって勉強になった。特に問題と感じたのは、「術前化学療法を実施して病理学的完全効果が得られた症例は予後がいい」というメッセージを完全に誤解していると思われる発表だ。T1N2M1 ステージ4 原発病巣はそれほど大きくないが、腋窩リンパ節転移が結構めだち、骨盤などに溶骨性転移あり、といった症例を対象に術前化学療法をした、という表現というか、そのようにとらえることがまず、おかしい。この場合は、後で、やらなくていい手術をしたため、確かに「術前」ではあるが、基本的には「転移性乳がん」あるいは「primary metastatic breast cancer」に対する初回薬物療法という認識が正しい。原発巣のわりに転移がめだつ、という病態と合致して、HER2過剰発現を伴う。それで、ハーセプチンとパクリタキセルを併用sたところ、腋窩リンパ節転移がCRになったので、乳房切除術+腋窩廓清をおこなったところ、腋窩リンパ節は病理学的にも完全効果、つまりpathological CRであったので、良好な予後が期待できる、という発表。えーと、何がへんかというと、根本的に考え方が間違っていると思う。なんで、原発病巣の手術をしたのか。いま、これはちょっとしたブームで、遠隔転移があっても原発病巣は手術したほうがいい、という主張をするひとが多い。しかし、それは、原発病巣を手術できるような患者は予後がいい、ということであって、手術をすることがいい、という話ではないと信じる。何で、tumor reductionのための手術という考え方も、多くの外科医が主張するがはたして、その考えは正しいのかというと、腫瘍を植えたネズミでは確かに腫瘍をとったほうが長生きするのだが、それは、植えた腫瘍のかなりの部分を取り去ることができるようなねずみの場合であって、遠隔転移を伴う人間の場合にはこの考え方は証明できていない。とにかく、この症例は、ハーセプチンなど、HER2機能を抑制する治療を中心とした全身的治療を効果的に継続する、ということが、患者に提供できる最善の治療であろう。また、べつの発表で、許せないと感じたのは、わけのわからない抗がん剤感受性試験をやって、感受性ありと判定された治療をやっているうちに骨転移が増悪、脊髄横断性まひになってしまった症例だが、な、な、なんと、この症例は、HER2過剰発現ありで、あとでハーセプチンを使ってリハビリして歩行可能になったと。当然、初回からハーセプチンを使用すべきである。これはひどい。しかし、発表されたので公となったわけだが、発表されない治療がいかにひどいか、想像しただけでもぞっとする。パンドラの箱は、いつ、だれがあけるのだろうか。

腐っても腐らなくてもがんセンター


週刊誌で国立がんセンターが叩かれていると友人から聞いたので駅で購入して読んでみた。麻酔科医師が今年の4月にまとまって退職したので外科手術ができなくなった、そのため外科医師も退職し国立がんセンター中央病院が崩壊している、そこで責任は院長にありと、職員大会を開いて院長の責任を糾弾したという話。私が1987年に国立がんセンターの職員になったころにも、ある抗がん剤の座薬開発にからんだ汚職事件(注:お食事券ではない)があり、このままでは国立がんセンターは崩壊するというような危機感があった。しかし、そんなことはなく、治験を科学(サイエンス)にしよう、という機運が生まれ、治験参加は本来業務であるという対応につながり、その後の治験ビジネス隆盛にまでオーバーシュートしてしまった。一方で、腫瘍内科の萌芽にもつながった。今回も土屋院長をつるしあげるのではなく、国立がんセンター改革につなげればよいのではないか。前々から、国立がん外科病院と言われてきた。しかし、がん治療の主体は21世紀の声を聞くころに外科手術から内科的薬物療法に大きくシフトした。1999年に完成した国立がんセンター中央病院の外来化学療法を行う通院治療センターも、私が退職した2003年ごろには、手狭になり、点滴待ち時間が長くなった。一方、手術室はサッカー場ぐらいある広大なもので、手術室と通院治療センターを取り換えよう、という意見を言ったら、本気でそんなばかなことを言ってるのか、と大腸外科のMRY先生に叱責された。しかし、胃癌、乳癌、大腸癌などのコモンキャンサーの手術はすでに全国の病院に専門家が育成され、どこでも均質化された手術が受けられるようになっている。何も、国立がんセンターでなくてもよいのだ。麻酔科医師の不足は全国的な問題のようだ。麻酔科医師は、独立して会社を設立し派遣の仕組みで自分たちの権益を守っているようだ。それも、ひとつの見識だろうが、中~長期的な視点に立てば、癌の外科手術自体が減ってくるので、麻酔件数も減少の一途をたどるはずだ。国立がんセンターも院長を糾弾するのではなく、これを機会に、構造改革をはかり、外科病院から内科的薬物療法中心の病院に転換する絶好のチャンスではないだろうか。あるいは、国立がんセンターは完全に行政機関に徹する、あるいは100%研究施設に徹するべきで、日本で最高の医療を提供するという目標は捨てるべきだ、という議論も昔から根強い。確かに、、研究費の配分もします、政策医療も考案します、最先端の研究も推進し実践します、最高の医療も提供します、若手の育成もしますと、いう八方美人的、総花的な姿勢には、無理があるように思う。それならば、この際、病院機能は、民間に移管して、行政機関に徹するのもよかろう。国立だから給料が安い、だからいい医師が集まらない、という話も頓珍漢である。癌医療を生涯にわたり責任をもって生き抜くためには、目先の待遇の良し悪しは、本当はあまり重要ではない。大切なことは、ただしい「思い」をもつことである。いかに、正しい思いを保ち続けることができるか、それが一番大切なのである。それには、研修医時代に正しい考え方を身につける必要がある。大学の若手医師でも、当直、アルバイトで稼ぎまくって、カンファレンスや勉強会にもほとんど参加しない医師が多い。確かに大学の給料は十分ではなかろう。しかし、ベンツEクラスを乗り回すほどのゆとりがあるのなら、バイトは半分ぐらいにして生涯、正しい思いを保てるように40代からの研鑽が大切である。話はすこしずれたが、腐ってもがんセンターである。国立がんセンターは崩壊することはない。構造改革を進めてほしいのだ。一方、同じころに静岡県にあるがんセンターで用事があって見学する機会があった。ローズガーデン、イングリッシュガーデン、など、一言でいえば、地上の楽園である。錦鯉が泳ぐ壮大な噴水池に続くつづらおりの遊歩道には、ヤマモモやサクラ、クスノキなどの樹木が整然と植えられている。遊歩道にはほとんど歩いていいる人はいない。車いすを押して歩くのには勾配がきつそうだ。図書館には内外の雑誌、図書が整然と整備され、オンラインコンピューターがずらりとならぶ。書籍や雑誌は、全くの新品で、開くとパリパリと音がする。午後の時間帯だったせいか、室内には、利用者は一人もおらず、静寂だけがインクと紙のにおいを湛えていた。研究室は未使用で空室が並ぶ。産学共同とか、看護部で研究に使う、という名目はあるもののその実現性は乏しい。そのような研究が開始され、スペースが必要になったらプレハブでもなんでもいいから部屋をつくればいいのではないか。研究室はガラガラなのに、管理棟の新築工事が進んでいた。管理棟を建てる前に、ガラガラの研究室を使うべきではないだろうか。これもわれわれ静岡県民の税金で賄われていると思うと、高額納税者としては考えさられてしまう。腐ってなくてもがんセンターなら、他人の金で理想の箱ものを作っても許されるのだろうか。一番大切なことは、県民のために安心、安全のがん医療を提供することだと思うのだが、どうもめざしている方向が違うように思う。

バラエティー番組はなぜくだらないか


俳優の峰岸某さんが肺癌で亡くなったそうで、その最初の症状が「腰痛」で、腰痛の陰に癌が潜んでいる、ということを取り上げたいので取材をお願いできませんか、とピンポンという番組から電話がありました。以前、コメディアンのやまだくにこさんが乳がんになったときにもコメントを求められましたが、そのようなくだらない話は聖路加で聞いてくれ、と断りました。今回も同意できない切り口での取材でしたので断ったわけですが、「腰痛でも肺がんの可能性があるから皆さん、注意しましょう、恐ろしいですね」なんていうことになったら、都内のブランド病院の外来は大パニックになるでしょう。ただでさえキャパこえて、診療レベルが低下しているのにこれ以上、劣悪な外来対応になったら患者にも医師にも申し訳ができません。
そもそも日本人の8割は、生涯で一度は腰痛を経験するといわれています。確かに、乳癌、肺癌、前立腺癌は、骨転移御三家といわれ、経過中に骨転移を起こすことはよくあります。また、峰岸某氏のように骨転移(腰痛)が初発症状でよく調べてみたら肺にがんがあった、ということも、それほど頻度は多くはないですが、時々経験します。吉本流にいえば、そういう症例を持っている、ということです。しかし、腰痛の原因で、がんの転移の頻度は、0.7%です。1000人の腰痛患者のうち、7人ががんの転移によるということです。この数字の中には、多発性骨髄腫も含まれており、ましてや初発症状が腰痛などということは、かなりまれなわけですから、ピンポンでとりあげるネタとしては、あまりにキワモノと言わざるをえません。そんなことより、煙草をやめれば肺がんはへる、COPDも心筋梗塞も減る、という話題が本当は必要なのですが、それでは、番組的にはつまらない、ということになる。つまり、バラエティーは、どうでもいいような、あるいは、世の中を混乱させるような、キワモノ的な話題しかとりあげないのでおもしろいかもしれないけれどくだらないというわけです。でもそれが日本人の民度なのですから仕方ありません。民度向上のためには教育しかありませんが、学校の教師の質の低下も歯止めがかからない現状では日本は衰退の一途をたどらざるを得ないと思います。おしまい。

おりた肩の荷


NSASBC01の論文がJCOにアクセプトされました。手元にあるプロトコールを眺めながら長かった14年を振り返り、あんなこと、こんなこと、あったよね~音楽と思い出してみました。ずーっと、どこかにつっかかっていたものがとれたような、肩の荷が降ろせたような、そんな充実感があります。しかし、イ○アフォーの暴挙に対する憤りは消ゆることはありませんなガマン

だから何なの?


乳癌学会では座長、ランチョンセミナー、シンポジスト、パネリスト、不毛なディベートと今年も出番が多かった。でも、昨年ほどではなく、一日目の午後や二日目の午後はいろいろな演題を聞くことができた。術前化学療法では、こんな場合にはpCR率がたかい、pCRの判定基準は統一すべきだ。。という話が多く、そんなの、5年前からわかっているじゃん、だから何なのさ、というような話ばかり。発表者には次のステップはこういう検討が必要だ、次にはプロスペクティヴな試験をやりたい、というような真剣な展望を聞きたい。発表者は若い人たちが多い。おそらく、教室の上の先生から、しろといわれて発表したのだろうか、みんな、発表し終わって質問もあまりでないと、ほっとしたように、または、会場にいる友達と笑顔をかわし、終わってよかった、と部屋を出ていく。決して、ほかの人の発表を聞いて勉強しよう、という姿勢は感じられない。彼らにとっては、つつがなく発表を終えることがエンドポイントであり、もっと勉強していこうなど、それ以上の要求はないように見える。だから、あまり辛辣な質問は、可哀そうだから、まあ、やめとこ、ということになる。一昨年だったか、座長をしていたシンポジウムで、若い先生の発表があまりにもいい加減だったので、コメントをつけたら、それがどうもトラウマになったらしく、そのあと、いろいろな人に、いろいろと言われた。若くない人が発表した時は、ここぞとばかり、質問するが、それは、会場にいる若い人たちが、ああいう点が問題なんだな、とわかってもらいたいからだ。発表者は昔からの知人だし、しょっちゅうメールでやり取りしている仲なので、これはおかしいんじゃないか、とか、これでは結論、でないのではないか、など、思ったように指摘しても、そのあと、フロアで発表者が近寄ってきて、いろいろな意見交換ができるのだ。トリプルネガティブのシンポジウムも、だからなんなのさ、そんなん、当たり前じゃんというような、海外の焼き直しだったり、その話は前も聞いたから早く論文にしてよ、というようなものもあり、いま一つの盛り上がりだった。
二日目のモーニングセミナーでは座長を務めた。演者のルカジアーニの話は、良い話だか、場違い話だか、聞く人によって意見がわかれるようだ。ただ、会場の反応は、例によって、「がん診療きょとん病院」だった。質問も出ないし、ちょっと詳しそうな人が会場にいたら、○●先生、コメントありますか、と場つなぎで質問しようと捜したが、そういう人もいなかった。それで、感じたままを語って見たところ、これが受けた。「先生のあの話、おもしろかったですね~。」と。また、通訳もすばらしいかったらしく、ルカジアーニも、後で、あのリマークはエクセレント、と言っていた。
私が、1980年代に乳がん診療を始めたころは、治療の選択肢も少なく、また、予後因子、予測因子もはっきりしていなかったので、すべての患者で「アドリアマイシン+エンドキサン+タモキシフェン」で事足りた。ER陰性でもタモキシフェンが効く、という主張もあった。すなわち、One size fits allの時代。だから、何も専門家でなくてもできた。しかし、今は、次から次へ、ニブ、マブどころか、聞いたこともないような治療薬が雨後の筍状態である。この状況を、昔は乳癌薬物療法は「ふくわらい」だったが、今はジグソーパズル。今のところ100ピースとかのおこちゃまバージョンだが、そのうち2000ピース、10000ピースになっていく。だから、その状況にまけないで、これからもがんばって、ジグソーパズルにチャレンジしていく必要がある」。ふくわらい、にはちょっと皮肉が含まれているんだけど、それは、「目隠ししても、楽しくできる」ということから「勉強しない外科医でもできる治療」ということだよ、わかった? それにしても通訳の北川さんは、ふくわらいをなんて訳したんだろう? 今度あったら聞いてみよう。 
 

あと1県! 全国講演行脚


週末は盛岡に行ってきた。参加は医師、薬剤師、看護師のみなさん50名ぐらい、居眠りしている人は一人もいなかったし、質問は引きも切らず、時間いっぱいまで活発な討論ができた。講演の最後の質問は、こちらの話を聴衆にどれだけ理解してもらえたか、どういう点を疑問に感じているのだろうか、次に話すときには、どの点のエビデンスを盛り込んで、どこをバージョンアップすればいいのか、など、多くのヒントがもらえるので、今回のようにたくさんの質問がでるととてもうれしい。講演の内容や、使用するスライドも、少しづつではあるが、新作ネタや、新しいデザインを加えるようにしている。しばしば私の講演を聞いてくれる玉岡さんが、「先生のスライドは、いつも聞くたびに進化していますね。」といってくれる。今回、呼んでくれた柏葉先生も「渡辺先生のお話はいつも新しい話題が盛り込まれていますね。スライドも初めて見るものも多いですね。GKIT先生なんかいつも同じスライドで同じ話ですよ。」とほめてくれた。真実を語る場合には、いつも同じ話、同じスライドで問題ないわけで、私もGKIT先生の話は何回か聞いたことがあるが、古典落語を聞いているようで、それなりに落ち着く。しかし古典落語でも、たとえば、今は亡き桂枝雀の落語DVDを何種類か持っているが、鷺でも代書屋でも、つかみのところが変わっていたり、少しづつ進化はしているので、GKIT先生のように全く同じ話を何回も・・というのも、さらに貴重なんじゃあなかろうかいってか。
1994年から始まった全国講演行脚も今回の岩手県達成で残すところあと島根1県だけとなった。最初は名古屋。当時は、私も一生懸命にJCOG試験を引っ張っていて、下山先生にもかわいがられていた時期で、試験計画を書いたり、JCOG試験のCRFを現在のような形式を導入したりと熱中青年していた。それを認めてくれて、なかなか面白いことをやっとる、ということで青山先生が呼んでくれた。今でも覚えているが講演後の質疑で三浦先生から「乳癌治療は我々外科の領域で回っているのに、渡辺君は、何を好き好んでこの領域のことをやって見えるのか、僕にはそれが不思議でならないんだけど」とのコメントをいただいた。15年も経つと標準治療も随分と変わるわけで、これも遠い昔の話としては懐かしい。あと1県、乳癌診療の専門家もいないのかもしれないけれど、適正な薬物療法が必要な乳癌患者はいるだろうから、お呼びいただければいつでも参上し、なぜ、標準治療は標準治療なのか、というようなお話でも致しましょうか?

夏も過ぎて閑古鳥


暑い暑いとへばっていたのにいつの間にかコオロギ、スズムシのなく涼しい朝夕を迎えました。8月の終わりに乳癌学会中部地方会が低調のうちにおわり、翌日の日曜日に臨床化学会というのが浜松で開かれて教育講演でよばれたのですが会場には閑古鳥どころか人影もまばらで拍子ぬけもいいとこでした。聴取の求めるところがよくつかめなかったと感じました。翌日の月曜日、9月1日には防災訓練があり昨年から浜松市の東地区の班長をやれ、ということで今年はトリアージの訓練を準備したのに、医師会の参加は22名中たったの4名。今年は医師会から市の教育委員会に「学校の先生も訓練に参加するように」と強く申し入れたそうで、東小学校の校長先生以下、4-5名の先生がご参加いただきましたが、医師会からの参加がこの数では申し訳なく思います。来年からは学校の先生方はご参加頂かなくっても結構ですよ。立て続けに閑古鳥がなく日々。さらに次の週、9月6日の静岡での講演を聴講、これもまた聴衆を馬鹿にしたようなレベルの低い内容、このところ夏の疲れなのか、時代がおかしいのか、わけのわからないことばかりの毎日でありんす。