10月は千葉→小山とか沖縄→栗橋とか、東京泊まりの翌朝移動など阪神タイガースの死のロードのような講演行脚でちょっときついね。千葉大乳癌認定看護師3期生の講義では「自らの付加価値を高めるような勉強をしてほしい。」という期待にばっちりこたえてくれそうな質の高い認定看護師が多数輩出されそう。でも一番前で居眠りしていたのは国立のがん専門病院の看護師だった。寝ている場合か? 半年間給料もらって勉強させてもらっている幸せをかみしめてみれば寝ている状況ではないだろうに。しかもその給料をはらっているのはわれわれ納税者なんだぜ。私は居眠りにはとりわけ厳しいのだ。栃木でも沖縄でも栗橋でも、医師だけでなく看護師、薬剤師、学生なども講演を聴講してくれ、ポイントをついた鋭い質問もたくさん出た。一連の講義、講演で感じたことは、乳癌診療においては正しい方向にチーム医療が成熟しているということ。医師、看護師、薬剤師などが、厳しく激しい議論を通じ、切磋琢磨によりそれぞれがそれぞれに付加価値を高めることによって、トータルで医療チームの質がぐんと向上する。長い間、チーム医療はかなり誤解されてきた。みんな仲良く和気あいあいというのも違う、看護師が点滴をしないというのも当然違う、MDアンダーソン式の効率の悪い分担業務も違う。チーム医療の伝道師だと言ってきた上野先生本人が、私はチーム医療の専門家ではありませんと言い切ったのにも驚いた。日本の厳しい医療環境ではアメリカ式の分業を導入することは不可能だし無意味なのだ。MDアンダーソン礼賛はそろそろ見直す時期にきているだろう。
当局って呼ばないで
CRCと臨床試験のあり方を考える会議というのがCRCセミナーの1週間前にありました。私はランチョンセミナーで、腫瘍内科医の立場で最近感じているCRCの働きぶりなども踏まえて、がん薬物療法の治験の問題点などを話してほしいという、司会の斎藤裕子さんから依頼されたので話してきたわけです。常々、私は「考えるCRCになってほしい」と思っているので、斎藤さんとのメールでの打ち合わせで、そのように伝えたら、是非、そのように、とのことでした。斎藤さんからは学会などでお目にかかる度に、いろいろと役に立つことを教えてもらっており、以前、CRC業務として、重箱の隅をつつくような細かいことばかりが求められ「過剰品質」が問題になっているという話を聞いたことがありました。つまり、治験の本質から見ると、全く意味のないような業務、記録、文書保存、承諾書、同意書、訂正印、訂正記録、委員会審査が求められ、その対応にCRCはてんてこ舞いになっているのだそうです。実際、治験を担当すると、やれ、文書受領のサインをしろ、訂正印を押せ、計画書の改訂を審議しろ、などなど、どうでもいいじゃん、というような些事(佐治ではない)を企業の開発担当者は求めてきます。また、試験計画書には、どうでもいいような検査が必須になっていたり、とにかく、くだらない決め事が多すぎる!! プッツン!!となって、何でこんなことが必要なの?と聞くと、「申し訳ありません、当局の指示でして」、とか、「これは、グローバル試験ですので日本だけ変えることができないんです」とか、とにかく、『当局の指示』っていうのと『グローバル試験』っていうのを盾にして、その場だけ、すまなさそうな顔をしている開発担当者が日本全国に大量発生しているようです。ひょっとしたら、そのようにマニュアルに書いてあるのかもしれません。これでは開発担当者としての説明責任を一切果たしていないのですが、とにかく、当局とグローバル試験というのがくだらないことが依頼される際に、金科玉条のごとく使われており、これが、過剰品質、過剰対応、CRC消耗の元凶であるらしい、ということを突き止めたわけです。
先日、アバスチンの大腸がんの市販後調査の集まりが静岡であったのですが、そのときにも、なぜ、サードラインではアバスチンは使用してはいけないのか、たとえばFOLFIRIが終わってFOLFOXをちょっとやって手の痺れで中止した場合、その後のアバスチンはどうしてだめなのか、と聞いても、虫害の担当者は、当局の指示でしてとしかと答えません。思わず、出たーぁ、と叫びたいようなお決まりフレーズでした。担当者としての説明責任を全く果たしていないじゃないか、と指摘しても、へこへこしているだけで、その場限りの対応にむなしさを感じたものでした。
では、本当に当局はそういっているのでしょうか? そういうデータもあったほうがいいかもしれませんねー、とか、調べるに越したことはありませんね、とか、念のため、治療と治療の間に、患者の電話するというのもいいかも知れませんね、とか、当局担当者のその程度の発言が、当局の指示となってしまうこともあるのかもしれません。また、「担当官は、首を縦にはふらなかったようだ」ということで、「当局の了解が難しい」という話が伝達されたり、徳川幕府260年の頃と何も変わっていないみたいです。
新薬導入直後というのは、とかく過剰な期待があります。イレッサ(ゲフィチニブ)は、世界初の肺がんの分子標的薬剤ということで、夢の薬みたいな扱いで、行政も、医療界、患者も、熱病にかかったように暴走しました。冷静だったのは製薬企業だけだったかもしれません。それで、数々の特例
を設けて、市販される前に、自費で使用できるような行政の仕組みまで、つくられ、その間に、とんでもない不適切使用が横行しました。エルプラット(オキザリプラチン)も、薬の実力をはるかに超えた前評判がたち、超法規的ともいれる措置で発売が早められました。古くは、イリノテカン、イダルビシンが発売された直後に、多くの患者に使われました。中には、とても具合が悪い状況のこの薬の発売を待って、やっと間に合った、と治療されたけど、もともとの病気が悪くって不幸にして亡くなった方もいます。それが、「発売直後の副作用死亡多数」と新聞紙上でも取り上げられました。しかし、それらの薬で、病状が一気に好転した患者もいたでしょうが、そのような奏効例は報道されません。そうすると、企業も行政も事なかれ主義となります。企業は、とくに、社運をかけて開発した新薬が、悪い評判が立つのが怖い。そのため、効果よりも安全、安全よりも会社の評判を重視するのでしょう。その結果、発売直後の使用制限は異常ともいえるほど厳しくなり、治療すべき患者に使用できないという状況になってしまいます。ハーセプチンもそうでした。心毒性、インフュージョンリアクションが起きるから大変な薬剤です、専門医がいないと使えません、ICUがない病院では使ってはいけません、使用記録は逐一、すべての症例で提出しなくてはいけません、などなど、ものすごい高いハードルが設けられました。私も施設を2回異動し、その都度、虫害担当者が立ち入り調査に入りました。そして、ICUがないなど、要件を満たさないからハーセプチンの使用は許可できないといわれたことがありました。このような過剰な使用制限のおかげで、発売後、ハーセプチンは新聞沙汰になるような副作用は出なかったようですが、「ハーセプチンは、アドリアよりも危険な薬」という風評がたち、使いにくい薬剤という印象から、治療を受けるべき患者が治療されなかったという不適正使用の状況が定着してしまったのです。今だに、「ハーセプチンは、危険な薬だから、なるべく使わないで、最期までとっておく」、という間違った考えを持っている外科医は結構多いです。治療が必要な患者でも、「死んでもいいのなら使ってやるが責任はとれないぞ」と担当医に言われたという患者もいました。羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)という感じ。虫害にきくと、これも当局の指示ですので、とわれました。当局も、うまいこと利用されているのかもしれない。
では、当局っていったい誰なんでしょうか? ゾメタの外来化学療法加算の話のときには、当局の担当者の氏名年齢内線番号まで把握してやり取りしたのですが、製薬企業が間に入ると、当局くん、になってしまい、突き詰めると、担当者の顔が見えず、厚生労働省の建物が言っている、みたいな話しになってしまうのです。当局くん、さようなら。
継続の力
CSPOR CRCセミナーが昨日、終わった。関係者の皆さん、ご苦労様でした。今回で15回目、まさに継続は力なりである。CRC育成のための勉強会は、当初あちこちで開催されたが長続きしているものは少ない。CSPORでこのように継続できている理由は、その企画力であろう。ありきたりのプログラムにはならないよう内容の充実にいつも心がけている。しかし、問題も多い。
問題として一番に感じていることは、参加者からの質問がない、ということ。「学会や研究会に行ったら必ず一つは質問して来い」、これが、国立がんセンターレジデント時代、恩師、阿部薫先生から教えられた教訓だ。質問しよう、という姿勢で取り組むと、一生懸命に聞くようになる。最初から、受け身の姿勢だから質問も出ないのではないか。もちろん、講義の内容が難しすぎて、ということもあるかもしれない。そのときは、難しすぎてわかりません、と質問してもかまわない。そういえば相変わらず、居眠りしている人が多い。とくに、若いCRCは講義で居眠りする習慣が学生時代からついているようだ。今度から寝ている人はつまみ出す。質問が全くでないので、ついつい、チューターであるわれわればかりが質問することになり、そうすると、どうしても質問の内容は専門的となり、時には楽屋ねたで盛り上がることもある。せっかく時間と労力とお金を使って参加しているのだから、居眠りせず積極的に質問してもらいたい。
今回、参加者の6割は初めて参加するという人、さすがに15回すべて参加という人はいないが、それでも10回以上参加している人は20%ぐらいいる。このようなベテランリピーターは、スーパーバイザーとして、グループワークなどでの指導者としての役割を担ってもらっている。グループワークの形態も定着してきた。スーパーバイザーも、それぞれが工夫をしてうまいことやっている。CRCのひよこ組では、一日目はなかなか話が盛り上がらなかった。しかし、二日目の終盤になると、何を目指して仕事をすればいいのか、わからないときにはどのような本を読んで、どうやって勉強すればいいのか、など、CRCがこれから育っていく上で習得すべき基本的な知識や、勉強の仕方が共有されていたようで参加者(顧客)満足度点数も高い。
継続的な勉強と言っても個人のレベルでの継続とセミナーとしての継続は違う。初回参加者が60%となると、いつも初心者向けのプログラムも用意しつつ、上級者でも満足できる内容を提供する必要がある。ポイントは、グループワークを増やして、卵、ひよこ、アヒルの各レベルを並行して行えばいいのだろう。
今回、一番気になったのは、がん情報センターの話。あれはいったいなんなんだ、といいたいような内容である。そもそも、患者への情報提供は、医師–患者関係の枠組みの中で対応すべき問題であろうに。とくにピンボケは「がんは怖いですか?」というアンケートをとりました、って、いうじゃない。 昔、スネークマンショーというパロディがあった。現場からの実況という感じで「私は、戦場に来ています。今、あちらにちょうど、たまにあたられたかたがいます。伺ってみましょう、『いたいですか?』『戦争、お好きですか?』」というのとおんなじだ。私たち、高額納税者の税金をもっと有効に使ってくれないと困るよ。
外部から来てくれた講師にいちゃもんをつける、というのも問題、という意見もあるが、なあなあで済ませていい、ということはどこにもありません。
2009年乳癌学会地方会
夏の雑感
第4回浜松乳癌情報局市民講座
野にくだりて思うこと
若者よ、真剣に生きなさい
第3回浜松乳癌カンファレンス印象記
時代錯誤2題
最近、聞いて調べた看護師関係の時代錯誤的話題をふたつ。
その一
H市医師会では市の中心部の一等地に地上8階地下2階、免震構造の新医師会館を建設するそうです。すばらしい!しか~し、その中に入る看護学校は、看護師養成ではなく准看護師養成の学校だそうです。時代の過渡期としての移行措置ならともかく、どうもそうでもないらしい。えー!? この時代に准看護師養成? 時代コンセプトが明らかにずれているように感じます。
その二
S県がんセンターでは、抗癌剤点滴の際の静脈確保は、いまだに医師の仕事とされており、多忙な医師が静脈確保のための当番に割り当てられているそうです。また、別の病院では、患者であふれかえっている外来中に、医師が点滴のために処置室に呼ばれ、看護師が眺めている横で静脈確保して、その後、抗癌剤点滴への切り替えは看護師がやるそうです。え~?? それって、今の話なの?
厚生労働省によると94%の医師が看護師・准看護師に静脈注射を指示しており90%の看護師・准看護師が日常業務として静脈注射を実施しているそうです(2001年厚生科学特別研究)。ところが(旧)厚生省医務局長通知(1951年9月15日)では、静脈注射は「医師または歯科医師の業務で、看護師の業務外」としており、前記の実態と、局長通知での解釈とのかい離が目立っていることが指摘されています(厚生労働省)。看護師の業務外とされた理由は、①薬剤の血管注入により、身体に影響を及ぼすことが大である、②技術的に困難である、の2点。しかし、最近では、厚生労働省では医療施設や在宅においても、看護職員が静脈注射を実施することへの国民のニーズが高まっていることや、大学、さらに大学院レベルでの高度の看護教育が普及しており、静脈注射に関する原理原則、薬剤の作用および特性、緊急時の対応等が習得され、緻密な観察に基づく的確な判断力と技術力のある看護職員が育成されているとして、2002年9月30日、上記の局長通知を廃止し、新たに「医師または歯科医師の指示の下に、保健師、助産師、看護師及び准看護師が行う静脈注射は、保健師助産師看護師法第5条に規定する診療の補助行為の範疇として取り扱う」との医政局長通知を出しました。この通知に基づき、医師は医師らしい仕事、看護師は看護師らしい仕事を患者のためにしなくてはなりません。がん医療の領域ではチーム医療の充実が叫ばれており、それには、業務の適正な分担が大切です。抗がん剤点滴と言っても、静脈確保は、生理食塩水なり、ブドウ糖液なりで行うわけですから、通常の静脈確保と同じこと。今の時代、静脈確保は、患者に信頼される看護師の業務として認識しなくてはいけません。医師は、静脈確保に走り回るのではなく、SPIKESの実践による正しい情報提供のために時間をかけなくてはいけません。
