製薬業界の『不祥事」があとをたたない。というか、今まで、当たり前のようにやられてきたことが「不祥事扱い」となるといってもいいかもしれない。というか、当たり前が当たり前ではないのは以前から明らかであったけれど、それが当たり前ではない、ということにだれも気づいていなかったということなのだ。また、「製薬業界の」という表現が使われるが、実は医師、薬剤師、ときたま看護師(婦)などの医療者側も不祥事の成立には大きく関与してきたのだが、エイズ問題の時のようにどぎつくたたくときは、医師にターゲットを絞るが、その場合、対象となった医師はほぼ立ち直られなくなり、晩節を汚し、世間の目を避けるようにして医療界からフェードアウトしていく。場合によっては、その汚名は子々孫々、末代にまでおよび、75日経っても人の噂からきえない。しかし、そこそこにお灸をすえる場合には、形だけたたくふりをして75日経てば謹慎とか営業停止処分が解かれ、何事も無かったかのように会社のブランドに傷がつくこともない。問題を起こしたとされる会社は喉元過ぎて熱さを忘れるまでじっと、反省したふりをするのだ。しかし問題を起こしたとされる会社の社員は「なんで俺たちがたたかれるんだ。医者が悪いんだもの、そんなの知るか!!」。確かに、ディオバン問題なんかはそうかもしれない。「関係ないってね、ほっとけほっとけ」とか、「グローバルは関係ないっすよ。俺たち世界に目を向けているからね。」など、何事も無かったように、に、社員はにこにこと国際学会にも参加しタクシーの列に並び、夜の街に繰り出していく。当局は、国内企業には厳しいがそれが、グローバル企業の場合は、ヘッドクオーターにまでは、お仕置きが及ばない。抜け道がある、と言うよりも抜け道の方が広く、日本法人の部分だけたたいても、マスコミは攻撃の手を緩めない。そこで、代わって矢面に立って、全ての不祥事に対しての懲罰を、全ての罪を私が受けましょう、と機能しているのがせーやくきょうという業界団体である。そして、それが、また、不適切に対応するのでやっていることがばかばかしくなる。販促資料に「個別症例の事例は載せてはいかん」、それはなんでだ? 個人情報を守るため? 個人が特定できる形でもないし、対象とされた個人が不利益を被るわけでもない。それはなんでだ? エビデンスレベルが低いから? 昆虫採集みたいに「こんなに珍しいチョウチョがいました!」ではなく、どこにでもいるチョウチョでなければ、つまり、レベルの高いエビデンスで無ければ、販促資料に載せてはいけないということ? ならば聞く、わけのわからない、「基礎的実験結果から得られた推論をそのまま、臨床の現場での治療の根拠として、まるで都市伝説のような形で、不適切な治療を浸透させる手法」は、許されるのか? 一例報告同様にエビデンスレベルは「5」とされているが、そういう「にせ科学」を普及させて都市伝説を流布させてもいいのか? えー? せーやくきょうさん。せーやくきょうさんの気持ち、立場もわからないでもありません。矢面にたって、マスコミ、行政からのバッシングを一手に引き受け、じっとこらえて75日辛抱すれば、世間は、悪行を忘れ、そういえば、学会スライドのデータをごまかして、いいように営業していたたけだたけだたけだもあったねー、えっ、そんなんあったっけ?? と穏やかな日々が戻ってくる。その間、体をはって頑張っているように見せかけ、お仕置きをうけたふりをする「仕組み」「浄化装置」が、製薬企業各社からお金を出し合ってできてている、それがせーやくきょうなのだから、と考えればわかりやすい。ある高名な大学教授が言っていた、「倫理と科学?、利他の心?、そんなきれい事、本気でいってまんのか? あほちゃいまっか? 世の中は、性悪説の塊やからね・・・と。それが、道修町の倫理なのかも知れません。あほちゃいまんねん、パーでんねん、というのもありました。自虐ネタが受ける時代でもありますね・・・