一つは東京駅八重洲口でタクシー降り場が依然として整備されず、タクシーの行き交う道の真ん中で土砂降りの雨の中、おろされたこと、しかも、整備の終わりかけた東京駅外構には、中途半端な植栽が整えられていたが、タクシー降り場らしきものはやはりなく、東京オリンピックでも世界からのツーリストはやっぱり、車の行き交う道の真ん中でタクシーをおろされてしまうのだろうかと懸念される。釈然としないもう一つは、聖路加国際大学の、生涯教育部の、がん化学療法認定看護師のコースが今年度で休講になると言う話。早朝に父が亡くなった2008年7月4日、葬儀の段取りなどもそこそこに、開講初年度の聖路加看護大学(当時)がん化学療法認定看護師のコースの講義に出向いたことが思い出される。30人ぐらいの受講者で盛り上がっていた。当日は、今は縁が切れてしまったノバルティスの講演が静岡であったので、聖路加講義のあと、「はしご」には行かず、新幹線に飛び乗って静岡に移動し講演をはしごからへろへろになって帰宅したのを覚えている。(つづく)
水無月の想い(1)それなりの週末
ASCO帰りのこの週は時差の関係で深夜の活力が高い。プレナリーセッションの演題が自然と蘇ってくる。広範囲骨転移、他臓器転移のある前立腺がんでは、ホルモン療法だけよりドセタキセルを併用した方が長生きするとか、KRAS野生型の転移性大腸がんでは抗がん剤との併用はアービタックスでもアバスチンでもPFSもOSも変わらないとか、ホルモン感受性閉経前乳がんではLHRHアゴニスト+AIの方がTAMよりよかったとか、HER2陽性乳がんの術後にはラパチニブは無意味だとか、それなりにガイドラインを書き換えるぐらいのインパクトのある演題が発表されたASCOだったので、それなりに腫瘍内科プラクティスも変わって行く、という話を、今日の、聖路加国際大学の、生涯教育部の、がん化学療法認定看護師のコースで話してきた。帰りは、通いなれた「はしご」でダーロウダンダンメンを味わって来たのでそれなりに充実した一日だった。でも、なぜか釈然としない感じで、このブログを書いているのだが、その理由が二つ思い当たる(つづく)。
アバスチンは今日も駄目だった
二日目の午後:
抄録番号500:oral session (ER/HER2) 発表者は、Kathy Miller, E2100トライアル論文の著者です。再発乳がんではPFS、奏功割合は向上するがOSの延長はないということで相原先生には認知されていないのだが、今回、術後での検討が行なわれた。果たして、相原先生の認知なるか?
方法は、AC→weekly paclitaxel+placebo vs. 同ケモ+ケモ期間にアバスチン vs.同ケモ+ケモ期間中とケモ終了後10サイクル分のアバスチンプライマリーエンドポイントは、Invasive Disease Free Survival (局所の非浸潤癌再発だけ除く)結果は、4994名の登録したけど、IDFS、OSにさはなく相原先生の認知ならず。結論:乳がん術後のAC-PTXにアバスチンを加える意義はない。
抄録番号501: 次の演題は、ER陽性の再発がんで、パクリタキセル+アバスチンが効いている症例を対象にそのまま、パクリタキセル+アバスチンを続けるか、それともエキセメスタン+アバスチンに変更するかをけんとうしたしょぼい試験である。ER陽性の局所進行または再発乳がんで、16-24週間、一次治療のパクリタキセル+アバスチン治療でPDにならなかった症例を対象、方法は、パクリタキセル+アバスチンを継続する群と、エキセメスタンとアバスチンに切り替える群にランダム割り付け、PFSをプラマリーエンドポイント、OSをセカンダリーに置き198イベント(再発=死亡)を目標に実施したよ。結果は、113が登録され98症例を解析対象としたということだから質は低そうだ。ランダム割り付け後、6ヶ月の時点でのPFSは、P+BEVで70% (95 CI 54-81.5)、ET+BEVで54% (95% CI 38.5,-67.2(p=0.56)。つまりケモ続けた方が効果持続は長いということ。抄録の時点ではOS曲線はメディアンに至っていない。副作用は推して知るべし。症例数も少なすぎるので、こんな試験、やっても無駄だ。
コンプライアンスを考える
「コンプライアンス」ということばを考えましょう。英語で「compliance」、英辞郎には、次の5通りの意味があげられています。(1)〔規則などの〕順守、コンプライアンス、従おうとすること、(2)〔規則などへの〕適合性、準拠、整合性、(3)〔過度に相手に〕合わせること、従順であること、(4)《医》服薬順守、コンプライアンス◆患者が定められた服薬を守ること。(5)《物理》弾性コンプライアンス◆物体の変形のしやすさで、弾性率の逆数で表される。
私が最初に出会ったのは北大第一内科の研修医の頃に(5)の弾性コンプライアンスの意味です。呼吸機能検査で肺の柔らかさを表すときに、コンプライアンスが高い肺、低い肺、という使い方で使います。肺繊維症、間質性肺臓炎などは、肺が膨らみにくくなる、硬くなる、コンプライアンスが低くなる病気、一方肺気腫などは、コンプライアンスが低くなる病気と習いました。次に出会ったのが 4)の服薬順守、患者が定められた服薬を守ること、です。国立がんセンターレジデントのとき、UFTなどの経口剤を巡る議論の中でした。がんの告知もなく、胃がんの患者にたちの悪い胃潰瘍と言って処方しても、患者は内服すると具合が悪くなるので内服しないで、すべてゴミ箱に捨てている。このようにコンプライアンスが悪い状況で、年間1000億円を稼いでいる柏戸薬品はけしからーんという話になりました。この服薬状況を意味するコンプライアンスは、「医師が主人として一方的に定めた服薬スケジュールを患者が下僕として言われた通りに服薬する」という意味なのでよくない、ということで「adherence: アドヒアランス」を使いましょうということになりました。しかしこれも「医師が冷徹に定めた服薬スケジュールに患者が几帳面に執着して言われた通りに服薬する」というような意味でたいした違いはないように感じます。それで最近では、医師と患者が一致して協調して理解し合って薬剤の服薬をしっかりしていこう、ということで「concordance: コンコーダンス」を使ったらどう、ということになっていますが、なんか、意味が曖昧だなー・・・。
それで、最近うっとうしく感じていることに関する意味が(1)〔規則などの〕順守、コンプライアンス、従おうとすること、です。意味のある正しい規則ならば順守するのは当然ですが、くだらない、馬鹿げた、製薬業界の取り決めに対してコンプライアントである必要があるのか!!! というのが私の主張ですが最近ではこの主張もむなしくこだましています。詳しくは、「小粒コンプライアンスばばあ」の話を参照してください。
正義はどこに
韓国には「先生の日」というのがあって、子供たちが学校の先生に感謝するように、ということで、その日は、親も子も学校の先生に「つけとどけ」をするようになっているそうです。そんな風に子供のころから、袖の下、賄賂が当たり前、として育つから、正義がゆがめられ、行政も便宜をはかり、その結果、客船沈没、地下鉄衝突などの惨事が起きた、と言っても間違いではないと思います。中国だって、日本だってそのような文化を共有していますし、開拓時代のアメリカだって保安官が賄賂で動いたり、ソルジャーブルーという映画に出てくる兵士はみんな、先住民族を相手に悪の限りを尽くしたりと、そのような罪は、人間が共通して持つ弱さ(アダムとイヴの原罪)に根ざしているのでしょう。野場崩壊の原因となったディオ番の臨床試験もどきのデータねつ造は、科学を知らない医師が透明性を確保するという科学の基本的手順を怠ったのが問題であり、科学を知らないのは単なる勉強不足、臨床試験の「り」の字も知らない教徒不律とか自警とかの医師が不勉強ゆえの「無知の涙」、無垢なおぼっちゃんたちが知らなくてやったことを、したたかな野場社はディオ番が優れていると宣伝に使って大もうけしたという大罪、「正義(justice)」を欠いた行為と言う事で責任を追求されているのです。多σの問題も、売らんがための臨床試験もどきの検体の運搬に「プロパー」が関与した、というところに「不正」が指摘されているようですが、そんなのは日常茶飯事だよ、不正といえば不正かもしれないけど罪っちゃあ罪だけど、小罪だよね、医師会に持って行く検診のフィルムの運搬を「プロパー」にやらせるのがあたり前の医師の社会、何が不正なのか、わからなくなっちゃっているようです。野場社といえば、乳がんでの染他の術前治療の臨床試験もどきでも、データ解析にノバうさぎが関与したとか、試験用にと提供された薬剤でもって保険請求がなされたりなど、大中小、すべてのサイズを取り揃えた罪の噂が絶えません。過日、講演のスライドはすべて事前校閲を完全に義務づけますと、社長以下幹部が一新され、これからもコンプライアンス向上を目指しますと新生野場社が通告してきました。講演スライドの内容は、私の「知の統合」であって、適応外の使用を云々する話ではないだろう、そんなこと言うんだったら、あんたんところの講演は断る!! お前に言われたくないね!!と、Ph社に次いで野馬社とも袂をわかつ結果とあいなり候事、致し方なく候ことなれど、そんなくだらない講演だったら営業の若造くんがやるだれも聞いていない「製品説明」で十分だっちゅうの。
自助・共助・公助
薬価が高いと言っても、二重、三重の手だてで助けてくれるのが日本の国民皆保険制度ではあるわけですが、震災や若者の体たらくでだんだん日本の収入が減ってきて貧乏国になってきました。高齢化社会はまさに現実のもので、過去に日本の繁栄を築いた現在の高齢者を若者が支えなくてはならない厳しい時代です。そうすると、どんどん高くなる薬価に大しては、自助、すなわち、自分で自分を助ける、天は自ら助くる者を助く、というように、日頃からお金をためておかないといけない、あるいはお金持ちしか治療はうけられない、貧乏人は麦を食え、あるいはパンがなければケーキをたべればいいじゃない、みたいな話になるわけです。それじゃまるでアメリカじゃん、その通り、だから大きな政府をめざす民主党のオバマ大統領は国民皆保険的な政策を打ったわけです。かつては豊かだったけど今は貧乏な国、日本に生きる我々は、高価な薬価のどう対処したらいいのか、という背景を念頭に、朝日新聞に書いた800字コラムでございます。今日はこれから青森に行きます。今回から車で名古屋空港にいきFDAで青森に飛ぶという新ルート開拓です。いってきまーす。
がん細胞の増殖に関わる分子だけを狙い撃ちし、正常細胞には悪影響が軽い「分子標的薬」が時代の花形です。高性能だけに薬価も高額です。乳がん、胃がん患者の約二割に使われるハーセプチンの三週間毎の点滴薬価は一回あたり約十三万円です。昨年発売のパージェタは一回あたり二十四万円、ハーセプチンとの併用で効果は高くなりますが合わせた薬価も高く三十七万円です。そして今月発売のカドサイラは、特殊な技術でハーセプチンに抗がん剤を結合させた結果、がん細胞狙い撃ち効果を高め、ハーセプチンが無効の場合でも効果を発揮するため、一回あたりの薬価も四十七万円と決まりました。まさに天井知らず、うなぎ上りの薬価です。治療長期化の場合、患者の医療費負担は莫大になります。しかし、日本は国民皆保険の国、病院の窓口で払う自己負担額は、健康保険加入の場合は三割、高齢者は一割の場合もあります。また、月毎の医療費が一定上限額を超えると、窓口でそれ以上は支払わなくてよい高額療養費制度という仕組みもあり、日本は、とても恵まれた国です。健康保険は、加入者みんなが毎月決められた額を支払い、蓄積された基金から病気になったときに医療費として支払われる「共助」で成り立っています。自分で自分の面倒見ることが「自助」。元気なうちから自分のお金で民間生命保険に加入し、病気になった時の病院窓口支払い分や、病気で働けなくなった時の生活費をまかなうことなどが自助です。病気や失業で困った時、税金を元手として医療費から生活費まで国が面倒を見てくれるの公助です。高額薬価の話になるとすぐに公費負担を主張する意見を聞きますが、世界中見渡しても医療費の公費負担率十割の国は存在しないようです。今までは豊かだった日本も、高齢化社会で医療費が膨らみ、一方で若者が定職にもつかずぶらぶらしている現状では公助は期待できず、自助、共助で乗り切って行くしかないのでしょうか?
小粒おばさん増殖中
最近、さすがにしゃんしゃん大会登場を依頼してくる企業は減ってきました。そもそもしゃんしゃん芸人に自分は向かないし、しゃんしゃん大会のくだらなさ、とりわけ、あのあきれるまでの製品持ち上げ論議にはその場にいて赤面する程です。あご足付きで全国からの参加者を集め、しかも受付で名前だけ書いて遊びに出かけるという行動をよくあることですから、と許容する姿勢は、当世「一般国民の眼からみるといかがなものか』と批判されかねないと思います。現に、ノバルティス社長交代の際のコメント「日本のノバルティスは患者よりも医師を重視している」は当を得ているものです。かわって各社で増殖しているのがコンプライアンス(法令遵守)第一主義の小粒おばさん(Compliance -directed Kotsubu Obasung :CKO)。昨日もある社がJBCSのランチョンの司会をと打診にきました。閉経前乳癌治療の歴史、Beatsonに始まり、ノーベル賞の決闘、そして、LHRHアゴニスト開発の競争など、歴史的にみても取り上げるべき重要な項目がたくさんあるので、そういうのをわかりやすく伝えるような本でもだしたらどうだろうか、などと提案してみたところ、一向に反応せず、人のことばを遮るように、「コンプライアンス重視の観点から特定の医師に利益供与することはできません」 と全く頓珍漢な反応、コンプライアンスをはき違え、コンプライアンス重視をばかみたいに錦の御旗としてふりかざし、その他、言っている事が実にみみっちく、あほらしく、事の本質が見えていない・・・、これ以上、このかわいそうなCKOの顔を見ていても、なにも実りがないだろうから、そうそうにお引き取りを願いました。ランチョンセミナーといえどもきちんと企画して、製品の正しい位置づけを厳しく評価し伝えるという演出は重要です。そのような是々非々の対応をすることでランチョンとしての高い評価が得られるものと思います(外科学会ランチョンの高得点を記念して)。小粒おばさん、コンプライアンスと自社製品の売り上げを第一に考えるなら、針をもっと細くして、絶妙なるしゃんしゃん芸人に司会、演者を依頼したらいいでしょう。
院外調剤から院内調剤へ
厚労省の医系技官と薬系技官のせめぎ合いの結果、保険薬局での院外調剤が誘導されてきました。今回の診療報酬改訂では、そのせめぎ合いのバランスオブパワーが幾分健全化、つまり医系技官の攻勢の成果がみられ、院外調剤から院内調剤へ多少流れが変わりました。数ヶ月前の新聞に、調剤薬局花盛り、という批判コラムもありました。また、6年間の高等教育を終えて、門前調剤薬局に勤務し、ロキソニン、湿布剤の調剤で一生を終わる意味が見いだせない若き薬剤師の嘆きあり、病院、診療所でのチーム医療、ことさらがん診療においては大切であることが浮かび上がってきました。そんなこんなで、先週の朝日新聞「がん内科医の独り言」ではこんな独り言、書きました。
病院、診療所で診察をうけ内服薬がでる場合、患者は会計を済ませたあと、発行された院外処方せんを持って調剤薬局に行き薬を買います。医薬分業と呼ばれるこの仕組みは、薬漬け医療からの脱却をうたい文句に厚生労働省が推進してきました。しかし支払額がかなり増えること、病院、診療所から薬局まで移動しなくてはならず、患者や家族にとっては負担となる、などの問題があり決して便利な仕組みとは言えません。内服抗がん剤の場合には、さらに問題が加わります。がん診療について調剤薬局薬剤師との連携を図るために開催した勉強会で聞きました。処方せんには、薬剤名、分量、日数しか書いてないので、患者が肺がんなのか、乳がんなのか、はたまた胃がんなのかもわかりませんし、ご病気はなんでしょう、と聞けないことも多いそうです。また、患者の白血球数や腎臓、肝臓機能の良し悪しもわかりませんし、家族が薬を取りに来た場合には患者の全身状態もわかりません。調剤薬局薬剤師は、疑義紹介といって、不明な点を病院、診療所の医師に電話などで確認することが許されていますが、見ず知らずの医師に電話をかけるのもストレスだし、通常は錠数の確認程度で、患者の状態や検査データまで事細かく尋ねることはありません。その結果、納得のいかないまま処方通りに調剤することに不安を抱く薬剤師もいます。浜松オンコロジーセンターでは開院以来、院内調剤を続けています。薬剤師が患者の病状や検査結果を把握し、時には腎機能が悪いので内服抗がん剤の量を減らしたらどうか、と医師に提言することもあります。がん治療は医師、薬剤師、看護師などによるチーム医療が不可欠、医薬分業はチーム医療分断とも言えます。来月からの診療報酬改訂では医療費高騰を押さえるため、高血圧症、糖尿病、高脂血症、認知症について院内調剤を推進する方向に転換される事になります。がん治療薬でもそのようになってもらいたいものです。
終日運転
オンコロジーとは無関係ですが昨日は息子の引っ越しの仕上げに親ばかヘルプで妙子とふたりでアウトランダー車で若干の荷物を運ぶため新東名→東名→(首都高)→都内・・・の予定で朝7時すぎ浜松を出発。新東名の浜松の入り口は周辺道路整備が悪くってくねくねの田舎道で時間をロス。新静岡サービスエリアでアウトランダーを充電しようと思ったら日産リーフが充電中。トイレから戻ってきたら黒のアウトランダーが充電開始していたので断念 充電設備は一台では足りないね。横浜・町田インターを先頭に25kmの渋滞、その原因は事故、その先、首都高三号線が渋谷のあたりで「災害」のため交通止めというハイウエイラジオ情報。厚木でおりた方が早いとカーナビがいうので従ったところ一般道も大渋滞、海老名駅前で昼食とり渋滞の246号を3時間かけて横浜・町田インターまで東進。高速に乗ったら順調でカンパチから甲州街道へ烏山まで到着。親ばかヘルプ後、親子三人でおじいちゃんの誕生日おめでとうを伝えに本所まで。途中、落下してきた脚立に激突した直後の車の脇を、こわいねーといいながら通過、このあと高速4号線は大渋滞だった模様。本所で食事して帰りはひとりで羽田・横浜を回って横浜・町田インターまで、断続的な渋滞を辛抱強く移動して東名に乗り、足柄、牧ノ原サービスエリアで充電。途中、静岡の手前で大型トラックに乗用車が押しつぶされる凄まじい事故に遭遇。乗用車の運転者をのせた救急車が発進した直後だったのでその後を追尾。浜松に戻ったのは1時すぎでへとへと。終日運転して事故の現場をきりぬけるというアクシデント満載の一日でした。一匹で暗い部屋で待っていたロビン君の歓迎で疲れも吹っ飛び今日は午前中の外来終了です。今日は泉プラチネを訪問してきます。
首都高3号線の災
思い悩む人心掌握
はじめに:組織の責任者にとって人心掌握はもっとも重要な責務の一つです。しかし、重要なだけになかなかうまくいきませんし、永久に完成の域に達しません。自分を棚にあげるわけにもいきませんから、自己の精神修養にはげみつつ、掌握できない心人(こころびと)に気づいてもらう事を願っています。
本文:神を畏れる、の「畏れる」は「恐れる」とも「怖れる」とも違います。畏れるとは、「自分よりはるかに力のあるものに対してすべてを委ねること」です。そして、その「はるかに力のあるもの」と自分がつながっていることによって、無上の安心と平安を感じ、優しい気持ちを持ち続けることができるのです。
人は、一人では生きてはいけませんし、家族、親戚、友人、職場の同僚、近所の人、サークルの仲間・・・などと、お互いに信頼し合える関係を築きながらこの世の人生を送ります。隣人とは、単に隣近所の人、ということではありません。道ばたにうずくまっている人、困っている人、友達にいじめられている人、仲間はずれにされている人、意地悪をされている人、そしてつらいおもいをしている人など、あなたのほうから積極的にかかわっていき、隣人として愛することができますか。
人は生まれながらにして、ねたんだり、いじめたり、仲間はずれにしたり、うそをついたり、困らせたり、いじわるしたりという、罪を多く持っています。ひとはだれしも不完全で、完全なひとはひとりとしていません。しかし、ひとりひとりが成長する、反省する、悔い改めることで、より完全に近づいていくことができます。身の回りで、自分と意見のあわない人、気に食わない人、自分より能力が劣ると感じる人、のろまでいらいらする人、など、意地悪をしたくなる人がいるかもしれません。でも、その人たちはみんなあなたの隣人なのですから、愛さなくてはいけません。どのようにしたら愛する事ができるかを考えなくてはなりません。隣人を愛することであなたも愛されるのです。
相手を責めるのではなく、自分が相手に何をしてあげる事ができるか、自分の行為、言動で相手がどれほど傷ついているのだろうか、相手の気持ちをおもんぱかり、人々のつらさをおもいやり、みんなの幸せをおもうこと、それが、よい人間として、私たち一人一人が目指すべき隣人愛なのです。やさしい気持ちを持つこと、考えてみましょう。
