サンアントニオの季節


12月中旬には毎年サンアントニオ乳癌シンポジウムが開催される。ほぼ毎年参加しているが今年も昨日から始まった。ただでさえ忙しい12月なのに今年は5日に乳癌学会関東地方会がありその翌日の6日は浜松市医師会の休日診療当番があたった。休日当番では小学生や若者のA型インフルエンザ患者が殺到した。しかし薬剤師、看護師、受付事務の手際良いさばきで滞りなくタミフル処方を中心にほとんど完璧とも言える休日診療であったと自画自賛である。それにしてもタミフルの効果はすごいと思う。日曜日に来た患者は火曜日の午前中、あるいは水曜日の午前中にフォローアップ外来で来てもらって小学生などは熱がさめてから二日たっていれば学校にいってよいという登校許可証を書いてあげる。子供たちはたいがいタミフルをのんでその日か翌日には平熱に下がり異常行動もなく、日曜日には真っ赤な顔して重篤感に満ち満ちていたのに、火曜日にはけろけろしてにたにたしている。質問してもくねくねしてお母さんの顔を見てばかりいるのは病気の時も元気な時も変わらない。それで「学校にいきたいかね?」と聞いて「はい」という子には「よし、明日から学校に行こうね。」と許可証を書く。学校に行きたいかと聞いてもくねくねしている子は「じゃあ来週からにするか?」と聞いてお母さんの顔を見ると黙っているので許可証には来週からと書く。オンコロジストのインフルエンザ診療は結構柔軟ですばらしい。で、タミフルの効果はどれぐらいなのかと思ってタミフルの添付文書を読むと、効果のところに「国内において実施されたプラセボを対照とした第III相臨床試験(JV15823)の5日間投与におけるインフルエンザ罹病期間(全ての症状が改善するまでの時間)」として、罹病期間の中央値(95%信頼区間)はプラセボ群が93.3時間(73.2-106.2)に対してタミフル治療群は70.0時間(53.8-85.9)で統計学的に有意差あり[ p=0.0216]、ということになっている。これは、治療しないと症状が消えるのに3.8日かかるのがタミフル飲むと2.9日ということだ。えっ、たった1日の差なの?、たった1日の差なら飲まなくてもいいかと思ってしまうが、あれほど、多くの患者が「タミフル飲んで夕方には熱が下がりました」とかいうのを聞くと、現場の感覚と、データの感覚が乖離(かいり)しているかのように感じる。そこにはセレクションバイアスとかもあるのでしょうけれども、インフルエンザ抗原検出キットが完全と言っていいぐらい普及しているので、タミフル市販前の頃と比べれば、対象症例の選択はよっぽど正確なのかもしれないという推測も成り立つ。これをみて思ったのは、ハーセプチンの使用経験と臨床試験データを見た時の乖離(かいり)感と似ているなということである。1995年から日本で実施したハーセプチンの第I相試験、第II相試験での数十例の治療経験から「この薬はすっげえ効くなあ」と感じていたが、2001年3月15日号のNEJMにでたデニススレイモンのデータではハーセプチンで5か月生存期間延長といいうものだった。一剤を加えることで生存期間の延長が得られた薬剤は近年他に類がなくインパクトは確かに強かった。しかし、当時これをみて、えっ、こんなものかな、とも思った。現場で感じるのと、データとしてまとめた時との印象は結構乖離(かいり)するのだ。それには、いろいろな理由があるだろうが、臨床研究者として治療研究に携わりかつEBMヲタクとしてデータをじとじととみていると、治療薬の効果をいろいろな角度から把握することができるのだ。そのような経験があったればこそ、正しい登校許可証を書ける能力につながるのだなあ、とサンアントニオの予習を終えた明け方、しみじみと思いをめぐらしているのである。それにしても、どうして関東地方会は12月の忙しい時にやるのだろうか。11月とか、少し暇なころにやればいいのに。しかも、世話人と会長がいて、まるで、いつかの自民党みたいに総理ー総裁分離みたいだ。なんでこんなになったのか、ホズミンに今日聞いてみよう。

Ubiquitous Oncology


街角がん診療を掲げて浜松オンコロジーセンターを開設して来年の5月で5年になる。埴岡さんが日経にいた頃に、癌治療学会で会ったときに「先生の診療所が5年続いたら取材に行きますよ」と言っていた。こちらは、ぜひお越しくださいと言える状況だが、彼はマスコミから転出してしまったので、今では~、それ~も~かなわーないーことー。どこでも、いつでも、だれでもがかかることのできるがん専門診療所ということで、Ubiquitous Oncologyという言葉を思いついた。ubiquitous(ユビキタス)とは、日頃は意識しなくても、どこにでも存在して、それのおかげで助かっている人がたくさんいる、というような意味である。なので、意を決して荷物をまとめてホテルを予約して上京して8時間待たされて5分診療というような聖路加的がん診療ではなくって、エプロンしてスリッパはいて受診できるような、朝、抗がん剤の点滴してから会社にいくとか、昼間、お子たちが学校に行っている間に抗がん剤点滴してちょっと休んで夕方にはお子たちが学校から帰ってくるのをおうちで待つ、というような、便利ながん診療、それが、ubiquitous Oncology(どこでもがん診療)、しかも、診療内容は、腫瘍内科的視点から外科医ではちょっとできないようなハイレベルな薬物療法をやるよ、というものだ。あっという間の4年半で、どうにかこうにかニーズにこたえているように思う。ところが、少し前に聞いた話で、「あそこはセレブのいく診療所でしょ。」という評判が立っているというのだ。浜松にセレブなんているのか? とも思うが、浜松オンコロジーセンターの裏には、確かに、セレブの子女の通うバレエスクールがあるので、そこと勘違いしているのだろうか。敷居が高いように受け止められている原因を少し探求してみよう。こちらがめざすところと受け止める側の感じるところの違いを考えてみよう。ところで、最近、見学者が増えてきた。腫瘍内科を志して生き生きと勉強している若い医師が、大学病院の不合理さ、硬直化したシステムに疲れ果て、うんざりして、もっといいところはないだろうか、と見回してみたら、一筋の光明のように浜松で頑張っている先生の姿が見えてきた、と言われたこともあるし、前々から、渡辺先生のような生き方を目指して、自分も着々と準備しているんです、という話もきいた。いいね、いいね、いいね。確かに、大学やがんセンターなどに籍をおく人たちの学会での活躍ぶりは承知しているが、彼らの論点には、現場感覚が欠落していることを強く感じる。また、問題提起はするが、問題解決となると、「それは大変難しいはなしですね~。」といってソリューションを提示しようとしない、というかできない。自分で考え、自分で決定して、自分が行動する、という問題解決様式ができていないのだ。新しいキーワード、Ubiquitous Oncologyをぜひ、広めていきたいと思います。今日はこんなところです。実は今日は、休日診療当番で、朝から、新型インフルエンザの少年少女(見た感じ、セレブではないように感じます)が多数、お見えになっています。

腫瘍内科研修事始め


1982年12月1日は、国立がんセンター病院レジデントとして腫瘍内科研修を開始した日、今から27年前のことである。「忘れえぬ症例」というタイトルで小文を依頼されたので執筆したのだが、今日が記念日ということを思い出したので「腫瘍内科研修事始め」として特別寄稿する。なお、依頼された小文は、年明けに出版される予定。

 

 

「100人の患者を君が診ているとする。99人の患者から感謝されたとしても、もし、残りの一人の患者に十分な対応をせずクレームがつくようなら、99人に対する努力も評価されないことになる。患者の診療では絶対に例外を作ってはいけないのだ。」

「我々が行っている医療というのは基本的にはサービス業なのだから、いくら一生懸命やっていると主張しても、患者に満足されなかったら意味がないのだ。」

「腫瘍内科医は、まず、内科医であることをわすれてはいけないぞ。」

「外科医マイナス手術イコール内科ではないんだぞ。外科医と接するときは内科医のプライドを持ちなさい。」

これらは、恩師である阿部薫先生(現:国立がんセンター名誉総長)から直々に受けた注意である。このような指導を通じて私は、「がんの治療、とりわけ再発後の治療には限界がある。しかし、腫瘍内科医として出来ることは何かを考え、出来ることは精一杯やらなくてはならない。」という行動哲学を学んだ。ひとりひとりの患者と正面から向かい合い、EBMの3要素である「Clinical Expertise(臨床医として判断、知識、技術)」「Best Reserch Evidence(最善の臨床研究成績)」「Patient Preference(患者の意向をくみ取ること)」を習得した30年間の臨床経験の中から、とりわけ印象に残っているNKさんをご紹介したい。

NKさんは30才台の女性、私が国立がんセンター病院(現在の中央病院)のレジデントとして受け持った最初の患者である。5年前に乳癌手術、2年前に骨転移が多発し入退院を繰り返しながら、放射線照射、タモキシフェン、フルオキシメステロン、シクロフォスファミド、テガフール、メトトレキセート、ビンクリスチン、アドリアマイシンなど、当時利用できる治療薬を使用してきた。効果が認められた時期もあったが、病状は徐々に進行し、痛みが増強、座位すらとれない状況となった。同じ頃から呼吸困難も増強したので198211月初め、国立がんセンター病院に入院した。皮膚転移、多発骨転移、両側胸水、両側肺転移がある。私は 12月から担当となり、初めて病室を回診した日、NKさんは膝を抱えて、痛い、痛いと唸りながらベッドに臥床していた。当時の痛み止めは、塩酸モルヒネ粉末をワインとシロップに溶かした液体しかなかった。モルヒネを飲むと体が弱る、なるべくなら痛み止めは使わないように、というような間違った考えが医療者の間でも信じられていた時代である。NKさんは、昼も夜も、痛みに耐えながら、膝を抱えてじっとしていた。クリスマスの頃から、痛みに加えて膝から下がしびれる、手がつる、口の周りがしびれうまくことばをしゃべることができない、というような症状をしきりと訴えるようになった。次第に手もうまく動かなくなっていた。診療グループのカンファレンスで、脳転移、抗がん剤の末梢神経障害、脊髄転移、ビタミン不足など、様々な鑑別診断が挙ったが、阿部薫先生(当時は内分泌部長)から「カルシウム値はどうだ?」との指摘あり、測定すると低値であった。つまり「低カルシウム血症」、いわゆるテタニーの状態だったのである。骨転移を伴う乳がんでは、骨が破壊されカルシウムが溶け出し、血液中のカルシウムが高い値をしめす「高カルシウム血症」がしばしば見られる。それなのに、低カルシウム血症。理由がよくわからない。おそらく、ふつうの病院では、ここまでの鑑別はたどりつくだろう。そして、点滴の中身にカルシウムを追加して補正を試みることはするだろう。しかし、国立がんセンター病院の阿部チームでは、そこからの追求がすさまじかった。「なぜ、低カルシウム血症なのか?」、「造骨性骨転移(がんが骨に転移した結果、骨が溶けるのではなく、骨のカルシウム分がむしろ増加して骨が硬くなる転移形態、前立前癌の骨転移に多いが乳癌でもときに見られる)で、骨にカルシウムが取り込まれているのではないか。」、「いやいや、健常人の血清カルシウム値の調節には様々なホルモンやビタミンが関わっているからそう簡単には乱れないものだ。」、「じゃあ健常ではないとすれば、どこを調べればいいのか」、「ビタミンD、副甲状腺ホルモン、カルシトニン、血清アルブミンなどは調べる必要があるだろう」・・・。ということで、調べてみた結果、副甲状腺ホルモン(Parathyroid Hormone: PTH)が異常に低い、ということがわかった。PTHは、血清カルシウム値を上昇させる働きをもつホルモンだ。翌週のカンファレンスで、「低カルシウム血症の原因はPTH低値でした。」と発表したところ、「なぜPTHが低いのか?」、「いつから低くなったのか?」という話になり、「検査室に凍結保存してある過去の血清を使ってPTHを測定してみよう」ということになった。測定の結果、血清カルシウム値の低下と同じように、PTHが日を追って低下しているのがわかった。正常ではカルシウム値が低下すると、それを補正するためPTHは上昇する。どうやらPTHの分泌が悪いようだ。つまり、副甲状腺機能低下症ということになる。副甲状腺は、のどの甲状腺の裏側の四隅に張り付くようにある大豆ぐらいの大きさの内分泌腺だ。副甲状腺機能が低下する理由が、皆目検討がつかない。当時は、インターネットもない時代だったので、図書館司書のお姉さんに文献を検索してもらったが、そのような報告は全く見あたらなかった。結局、亡くなった後の病理解剖で、気管と甲状腺の間の隙間をはうように乳がん細胞が転移しており、副甲状腺が完全に破壊されていたのである。

NKさんが亡くなったのは年を越した1月中旬であった。クリスマスの頃から亡くなるまで、レジデント室(通称レジ小屋)に泊まり込み、日勤・準夜勤・深夜勤の連続勤務であったが、これは臨床医としては当然である。とりわけレジデントや研修医時代は、まだ、知識も経験も乏しく判断も甘い。そのため、少しでも長い時間、病室に出向き、患者の状態を誰よりもよく把握し、患者、家族との意思疎通を図り、看護師や、上司、同僚からも信頼されることが重要である。

最初は、痛み止めを拒んできたNKさんも、私の説明をよく理解してくれ、お正月の頃には、疼痛もコントロールできるようになった。しかし、次第に意識レベルは低下していった。亡くなる3日前、

「先生、私、夢を見ました。」

「どんな、夢ですか?」

「・・・・・・。どうもありがとう、先生。」

これが、NKさんとの会話らしい会話の最後であったように記憶している。翌週の病棟カンファレンスでNKさんの死亡報告をすると、阿部先生は、

「渡辺先生は、正月返上でよく頑張ったね。いい勉強をしたから、症例報告を書きなさい。JJCOJapanese Journal of Clinical Oncology)ならすぐ通るでしょう。」ということで、新たな試練が始まったのである1

病棟カンファレンスでのこのような徹底的な討論で、ほぼ、病態の全容が解明できた。このとき、これが、内科の真髄なのだな、と感じた。とかく、がんの末期状態の患者では、どんなことがおきてもおかしくない、というような対応で、病態生理が解明されないことが多いように思う。腫瘍内科医は、まず、内科医である、というのは、こういうことなのだ。また、徹底した討論は、診療グループ内での問題解決や意志決定プロセスを熟成させ、共有化するには不可欠である。私が診療グループをまとめる立場になったときも、十分な議論を通じて、がん患者の病態生理を解明しようという姿勢を重視した。レジデント教育にはたいへん有意義だと高い評価を得た。グループ診療、チーム医療を、実践するためには、常日頃からの、担当者間の意思疎通のための徹底的な討論の積み重ねが不可欠である。最近、労働条件がどうのこうの、拘束時間がああだこうだと、つべこべ言う若い医師が増えてきたが、自らの未熟さを省みて自己研鑽に励む、これが生涯学習というものだ。

今でも時々、JJCOの別刷り1を読み直してはNKさんのことを思い出す。私の腫瘍内科医としての臨床研鑽の第一歩と言える、まさに貴重な、忘れ得ぬ症例である。

 

1.Watanabe T, Adachi I, Kimura S, et al. A case of advanced breast cancer associated with hypocalcemia. Jpn J Clin Oncol 1983;13:441-8.

 

 

 

薬価はこう決まるの巻


新薬を製造・輸入するためのデータは治験で作られる。そのデータをもとに「この薬は日本国民にとって役立つ」ということになると厚生労働省が「製造・輸入」を承認する。そのあとで薬価が決まる。薬価は全く新規の薬剤の場合と、類似薬がすでにある薬では算定方法が違う。全くの新薬の場合は「原価積算方式」、類似薬がある場合は「類似薬効比較方式」となる。原価積算方式の場合、薬の原末の価格がいくらで、それを海外から輸入して工場に運ぶ運賃がいくら、治験にいくらかかった、など、製造、輸送コストや治験にかかった開発費など、すべてを積算する。この際「効果判定委員会参加のための○○先生タクシー代」なんていう項目も資料に出てくる。○○がんセンターの先生のタクシー代6万円、えっ! 東京からMSMまでタクシー使ったわけ??、本人の顔を思い浮かべることができる場合もあるので有意義だ。それとか○○米医大では治験1症例あたり200万円、○○県がんセンターでは50万円、どうして施設によってこんなに違うの??とか、○○大学病院では、5例の契約で800万円の治験契約が結ばれたが、実際治験を行った症例は2例、でも5例分の治験費用が支払われている、など、今話題の業務仕分けをすれば、すべて減額の対象のような項目ばかりだ。また「原価積算方式」では、営業利益率が20%と設定されている。これは、たとえば1錠582円のアリミデックスの場合、1錠売れれば117円がアストラゼネカ社の利益となるという計算だ。お商売をやっている人なら、え~っ、と、びっくりするだろう。470円で仕入れたものが582円で売れる、仕入れ値の25%増しの値札をつけるなんてよっぽどの殿様商売だ。医療機関ではどうだろう。このご時世、医療費はどんどん削減されている。営業利益率は、医療機関では、「医療収益のなかでの可処分所得の割合」であらわされるが、これは10%以下、数%の場合が当たり前である。その上、消費税は医療機関もちとなる。すると、利益率4%というような場合は5%の消費税を医慮機関で支払うので、マイナス1%の逆ザヤとなってしまう。世の中の経済の仕組みがおかしいように感じる。医療機関あっての製薬企業なのに、製薬企業の利益率は20%、医療機関は赤字・黒字線上をさまよっている、こんな理不尽なことがあるだろうか!!!! ざけんじゃねー!!・・(失礼)。一方、新薬でも、類似薬がすでに市場に出回っているような場合、その類似薬の価格をもとに、どれぐらいの新規性があるか、有用性があるか、ということで加算されて薬価が決まる(類似薬薬効比較方式)。たとえば、「○○スタチン(高コレステロール薬)」、「○○セトロン(抗がん剤の制吐剤)」など、新薬といっても、既存薬に毛の生えた程度のジェネリックみたいなものもある。その場合には、有用性加算は「ゼロ」で、既存薬と横並びの薬価となるのだ。また、「原価積算方式」でも「類似薬薬効比較方式」でも、海外価格との差を最後に調整する。海外価格に比べて、著しくことなる場合には、高くしたり、低くしたりと調整するわけである。ここで、問題となるのが「海外価格」。諸外国は一律かというと全然違うのだ。アメリカがダントツに高い。イギリス、フランス、ドイツなどは、ほぼ横ならび、薬剤によってはアメリカの価格が他国に比べて3-5倍ということもある。海外価格を平均するとアメリカの価格に引っ張られるので、それに合わせるとなると日本での価格が上方修正されてしまう。アメリカをお手本に生きてきた人々(アメリカでわの守)や、外資系製薬企業は、アメリカ並みの価格をつけないと、日本のドラッグラグ(世界で使える薬が日本で使えないという状況)は解消されない、ととんでもない馬鹿なことを言う(ロハスメディカル11月号対談参照)。しかし、医療費の仕組みが根本的に異なる国「アメリカ」を参考にするのは意味がない、と最近考えている。イギリス、フランス、ドイツなどは、医療費の公費負担率は、日本と同じ80%であるが、アメリカは30%。つまり私費で賄われる医療費の割合が高いので、民間の保険(アフラックなど)に加入できるだけのお金持ちは、高い薬剤も使えるが、貧しい、あるいはふつうの人々からみると、とても高い薬剤ということだ。日本は、ふつうの人々の集まりなので、アメリカを参考にしてはいけないのである。いや、日本は貧しい国の仲間入りをしているので、日本の薬価は海外での薬価の最低値よりも低く設定するべき時代になっているのである。日本は貧しい、という認識をもって各製薬企業も考えないといけない。貧しい国なので新薬が認められていないのは日本と北朝鮮だけ、ということでも仕方がない、お寒い季節の到来だ。

浜松大腸がん情報局発進!


浜松乳がん情報局市民公開講座は来年の2月14日に「第9回」を開催します。その1カ月後の3月14日に第1回浜松大腸がん情報局市民公開講座を開催することになりました。乳がん情報局同様、NPO法人がん情報局の主催ですが、主幹は浅野道雄先生(松田病院)です。乳がん情報局の活動を知った浅野先生が、大腸がんでも同様の情報提供活動ができないものか、と相談にお見えになったのが今年の春だったと思います。浅野先生はデータベース、ファイルメーカープロを用いた外来化学療法管理支援ソフト「All About Chemo!!」を作成した際の私のお師匠さんです。その縁でいろいろ教えてもらうことも多く、また、それが今回のコラボに至ったわけです。「あなたの疑問にすべて答えます。」という、決してはぐらかさない、にげない、言いにくいことも、ややこしいことにも、すべて真っ向から答える、という乳がん情報局のノウハウを生かして大腸がん患者にも安心の素になるような情報提供をしたいと考えております。ご支援、よろしくお願いいたします。

こいつらやっぱりだめだね


土曜日の午後など講演のため浜松から上り、下りの新幹線に乗る。新幹線車中では、アテンドのMRから今日の講演の聴衆は医師だけなの?、コメディカルもいるの?、全部で何人なの?・・を聞いて、講演スライドの最終バージョンを作る。ときに駄目なMR、あるいは駄目な企業だと、「本日は先生方だけです。」というのでそのように準備して行ってみるとコメディカルの人たちのほうが多いこともある。そんなこんなで、いつも講演行きの車中は多忙なのだ。ある日、浜松駅から乗ったらどこかで見たことのある老人一団が、ばらばらと乗ってきて同じ車両になった。彼らは医師会のお歴々で、おそらく東京あたりまで行き、○○研究会の全国シャンシャン大会にでもでるのだろう、見たことのある某社MRもへこへことついていた。私は上記のようにスライド調整に専念し途中駅で降りたのだが、その時おどろいた。彼らは真っ赤な顔でがやがややっている。ビール飲んで盛り上がっているではないか。これから、仕事ではないにしろ勉強に行くというのだろうけど呆れたものだ。こんな連中が医師会を仕切っているとしたら、やっぱりだめだね、こいつらでは。日医と合わせて浜医もおしまいだね、うん、それでいいと思う。

沖縄の風


週末は、琉球乳腺倶楽部の講演に行った。沖縄には10年ぐらい前から毎年、乳がんの薬物療法の話で宮良先生によばれてお邪魔しているが、年々、レベルが向上しているのがわかる。昨年は、「転移性乳がん薬物療法の正しい進め方」というタイトルで、自治医大から研修で来ていた佐藤政広先生に症例提示係をお願いした。ことしは田原梨絵先生が同行したが、事前に最近の私のスライドを渡して、こんなふうにやればいい、と説明しただけで、素晴らしいプレゼンテーションを作って発表もきちんとしてくれた。やはり指導者がよいと若者は伸びる。ここでいうよい指導者とはおれおれ自我自賛。まず、私がSt.Gallen2009のふたつのポイント「病型分類アンド閾値確認」を解説、また、UFT vs.CMFや、CALGB9344 トライアルのサブセット解析の話をして「がちがちのエビデンス原理主義ではよくないぞ」という話をした。宮国先生がスマートな司会をしてくれた。引き続き田原梨絵先生が5症例を提示しながら「病型分類アンド閾値確認」という流れで会場とインタラクティブに話を進めた。この部分は私が司会をして、会場の参加者に、だれかれ構わずがんがん当てた。私は検査技師なので、とか、私は看護師なのでわかりません、というようなことは全く関係なく「病型分類アンド閾値確認」方式で進めていくと、誰でも正しい治療選択ができるのだ。これは実に驚きだが、まさに、「技」として、伝達可能なノウハウなのだ。このようにすれば、スムーズなチーム医療ができるのだ。チーム医療を箱もので考えるのではなく、このような技術を開発することのほうが大切であることを痛感した。
 
技のポイント;
病型を、liminal A, luminal B, HER2病、Basaloidにわける。
閾値表をみながら、「閾値越え」を探す。
luminals については、閾値越えがあれば、ケモを加える。
どんなケモを使うかは、患者の意向を考慮して選択する。
 
それにしても今回使った新築の医師会館にしても、昨年のテダコホールにして、信じられないほどのゴージャス建築だ。すべて、思いやり予算のような補助金でできているのだ。いくら基地があるからといって、沖縄はすこし甘やかされているような気がした。
 
 

これがほんとのキンテンカ


癌治療学会3日目の午前中は「原発不明がん」のシンポジウムがあった。癌治療学会で原発不明がんが独立したシンポジウムとしてとりあげられるなんて、ちょっと前までは考えられないことだったし、そもそもシンポジストとして壇上に並ぶ腫瘍内科医なんて佐渡の朱鷺よりも少なかった。それがどうでしょう、司会には国立がんセンター中央病院の安藤正志先生、そしてシンポジストには兵庫県立がんセンターの松本光司先生、国立がんセンター中央病院の米盛勧先生、栃木県立がんセンターの山中康弘先生らが壇上に並ぶ。彼らの発表態度はすばらしく、スライドもわかりやすく、主張もしっかりしていた。さすが私の弟子だけのことはある、どんなもんだい。彼らは指導者がよかったのか、会場で私のことを見つけると、にこにこして「よろしくおねがいします」とわざわざ挨拶に来た。こういうのは大変うれしいしかわいいものだ。私も学会で恩師に会えば必ず出向いて挨拶するようにしている。だがしかし恩師でもなんでもないKKZEなんかは当然無視だっち。それで弟子ひとりが弟子を3人育成すれば二代目で9人、三代目で27人・・。まるでネズミ講ですね、といわれるがそれでいいのだ。このスピードでいけば朱鷺を抜いて、アッという間に腫瘍内科医不足など解消するはずだ。私が国立がんセンターにいたころは腫瘍内科医が少ない、少ない、足りない、足りないといわれ、永遠の絶滅危惧種のように扱われれ、「やはり化学療法は外科医が担当するのが望ましい」なんて言われた。また、呼吸器内科医や消化器内科医なのに、腫瘍内科医と名乗ったりするような「鳥なき里のこうもり」現象も。しかし、腫瘍内科医ネズミ講計画は着々と進んでおり、あちこちの施設に羽ばたいていって活躍しているさまは、佐渡の朱鷺みたいだ。これぞ、本当のがん診療の均てん化だと思う。一方、いつまでも築地市場裏を巣立つことができない我が良き友たちもいる。さあ、君たちも早く朱鷺になってみたまえ、楽になるぞ。

 

 

 

 

 

絵に描いた松茸「病診連携パス」


【茨城発】やっぱり、やめたほうがいいだろう、乳癌診療の地域連携クリニカルパスなんが作るのは無意味だ、と、昨日、茨城県水戸で、病診連携のパネルディスカッションに参加してそう思った。茨城県もここ数年、乳癌診療に取り組む乳腺科医師が充実してきてすばらしいメンツがそろっている。そんな先生方とかなり本音のディスカッション。おもしろかったです。そもそも乳癌診療に興味がない、あるいはやったことがない診療所の医師に、ホルモン療法だったら簡単だから診てよ、なんていうこと自体、ナンセンス。一体全体、誰が言い出したんだ? 病診連携クリニカルパスなんて。所詮、はこもの的発想しかできない厚労省系統の頭のかたく、現場を知らない小役人の発想だと思う。そんなん、やめたほうがいい。大切なことは、地域に入り込んだ「セブンイレブン(ファミマでも可)のような街角がん診療」を実践できるような「高機能がん診療所」をつくること、やっぱりこれに尽きる、と、改めて認識した。政権交代の突破口を作ったのは茨城だ、と主張していたご高齢の先生がいらっしゃったが、その勢いで、ぜひ20世紀型の古臭い、上意下達型組織論に基づくがん診療拠点(きょとん!)病院構想を白紙撤回してほしい、えいえいおー!!

抗がん剤に関するQ and A


Q1

ご無沙汰しております。今日は同門で最近乳腺に力を入れられている先輩からうけた質問のことでメールさせていただきました。Luminal Aのような予後の良いタイプでホルモン感受性が陽性でもadjuvantに化学療法を行う場合の見極めや、化学療法を行う根拠となる論文はあるのかと聞かれて、渡辺先生が知り合いなら聞いてもらえないかといわれました。基本的にはSt. Gallenrisk分類などを参考にして、大きさやリンパ節転移などのriskが高ければホルモン陽性でも化学療法を追加する考えでよいと思うし、エンドキサンの卵巣機能抑制効果をねらってACを追加することもあるみたいですよ、とは伝えておきましたが、何かアドバイスがありますでしょうか?

 

A1

Luminal ALuminal Bは、本来はマイクロアレイを用いた多遺伝子発現分析とその結果をクラスター分析をして、正常の内腔細胞(luminal cell)に生理的に発現している遺伝子にどれくらい似ているか、という観点から、まず分類されました。そして、それぞれの特性を調べてみると、Luminal Aには、ホルモン感受性が高い、分化度が高い、悪性度が低い、というような生物学的特徴を示すものが多く、臨床的にも予後がよく、ホルモン療法がよく効くということが報告されるようになりました。一方、Luminal Bは、ホルモン受容体陽性でも、発現している細胞の割合が低いとか、ERは陽性でもPgRは陰性とか、HER2の発現が認められている、Ki67発現細胞の割合が高い、などの生物的特徴や、ホルモン療法だけでは予後がわるく、抗がん剤の追加が必要だろう、ということが示されています。それで、マイクロアレイを用いた多遺伝子発現分析とその結果をクラスター分析を行わなくても、ER陽性(50%以上)、PgR陽性(50%以上)、HER2陰性、グレード1のような場合には、近似的にLuminal Aとみなして、ホルモン療法だけで治療、抗がん剤は行わない、というような判断が成り立つと思います。腋窩リンパ節転移が1-3個ぐらい陽性でも化学療法は行わない、ということも一般的です。この考え方はSt.Gallen2009でしっかりとしめされており、論文の表3の域値はまさに、Luminal ALuminal Bを区別するものであると考えてよいと思います。

閉経前で卵巣機能抑制を目的としてACなど、エンドキサンを使用するという考え方もあります。しかし、卵巣機能抑制が目的なら、LHRHアゴニストという、そのための専用薬があるのですから、それを使用するほうがよいと思います。エンドキサンは、二次性白血病の懸念などがあるので、注意が必要だと思います。

 

Q2

当院の前任者も含めて、この地方近辺ではXC(ゼローダ+エンドキサン)を積極的に行うようですが、進行再発乳癌でゼローダ単剤よりもXCでいくほうがよいのでしょうか。エビデンスとしてはまだはっきり出ていないように思っていたのですが。いまも30歳台で多発肝転移のあるStageⅣ乳癌の患者さんがいるのですが、triple negativeで、FECPD、ドセタキセルも3サイクル後ですが、肝転移は変わらないのですが原発巣がやや大きくなってきています。腫瘍マーカーの上昇が止まってきたのでご本人、ご家族とも相談しもう2サイクルほど継続予定としましたが、PDだったらその次はナベルビンか、ゼローダ単剤か、あるいはXCか、TS-1かと思っております。XC療法の位置づけについて、もし先生のお考えがあればお聞かせいただければ幸いです。

 

A2

XC は使用しません。併用の意味はありません。ゼローダは単独で使用、エンドキサンとの併用は根拠がありませんし、二次性白血病の懸念などから、エンドキサンはなるべく使用しないほうがいいと思います。ゼローダは単独でも十分に効果のでる薬だと思います。また、再発乳癌の化学療法は基本的には「単剤で一剤づつ」という原則を否定するようなエビデンスはありませんので、可能限り単剤で使用します。